〜竜の国の狂詩曲 5〜





「ぷはっ!!」
舞神の間の水中から現れたのは、エーコを腕に抱えたブルメシア国王パック。
「エーコ、大丈夫か?」
(う、うん…)
げほげほとむせるエーコが、必死にうなずく。
「陛下! エーコ!」
駆けつけた竜騎士達と大巫女の姿に、パックはここがどこであるかを悟る。
まずエーコを地上に押し上げようとするパックにフラットレイが手を貸し、エーコを無事水の中から救出した。
「さあ、陛下もこちらに」
正装のマントが水を吸って、その重みで自力で水から上がれないでいるパックに、フラットレイが手を差し伸べる。
「…………」
けれどパックは水から顔だけ出したまま、気まずそうな表情でフラットレイを見上げているだけである。パックが何を気にしているか瞬時に理解したフラットレイは、思わず苦笑を浮かべる。
「陛下、いつまでもそんな水の中にいては、風邪を引かれますよ?
洞窟の外でも招かざる客が大勢押し掛けている頃でしょうから、今更陛下とエーコ殿が突然ここに現れても、少しも驚いたりはしません。例え陛下が風の大巫女様と何か共謀していたとしてもね」
「う…。…その…婆様には、竜の魔法書を覚えるのを交換条件に出されてるんだ。だから…」
すっかり見抜かれてしまっているパックは、ブクブクと更に鼻先まで水中に身を沈める。クスと笑みを1つこぼして、フラットレイはパックの腕を掴むと、自分がずぶ濡れになるのも構わず少年王を水から引き上げた。
一方、先に救出されたエーコにフライヤが駆け寄るのと同時に、大巫女が少女にケアルガをかける。
「大丈夫か、エーコ?」
「うん」
「遠見の泉に落ちたのじゃな? わらわの不注意じゃ、すまなんだの」
子供達が落ちたのをいち早く察知したギザマルークが、泉の水をこの洞窟の水路へと繋いだのだった。
「ううん、もう大丈夫。それより…」
エーコはキッと、少し離れた所から騒動を眺めているギザマルークを睨め付け、濡れたままの姿で、つかつかとその前へ歩み寄る。
「あなた! ブルメシアの守護竜だか何だか知らないけど、エーコの大切なフライヤの、大事な結婚式をメチャクチャにするなんて、絶対に許せないわッ!!」
叫ぶや、あわや召喚獣を呼び出す寸前、背後から飛びついたフライヤの手がエーコの口をふさぐ。
「(もごもごもご〜!)」
「良いのじゃよ、エーコ。誓いの儀式はもう、無事済んだのじゃから」
「え?」
「これはまた、何とも元気な召喚士のお嬢さんだ。リンドブルムの大公も、さぞ苦労しておるだろうな」
ギザマルークが苦笑に肩を揺らす。
「ほんとーに、結婚式ちゃんと終わったの?」
フライヤがうなずくと、エーコは大人しく口をつぐんで、何故かフライヤから強引に身を引き離そうとする。
「エーコ?」
「だって…フライヤのウェディングドレスまで濡れちゃうもの…」
乙女のあこがれの純白のドレスに、髪の毛からつま先までぐっしょり濡れた姿でどうして触れられようか。
フライヤは美しいエメラルドの瞳を和ませ、少女の髪を優しく撫でる。
「エーコまで、フラットレイ様と同じ事を言うのじゃな。ドレスなどより、私を案じてくれる仲間の方が、ずっと大切じゃよ」
その言葉に今までの怒りも忘れ、エーコはパッと顔を輝かせる。
面白そうに様子を見守っていたギザマルークが、ぱちんと指をならすと、瞬時に子供達とついでにフラットレイの衣服が乾いた。
エーコは不思議そうに自分の服を引っ張っていたが、すぐにフライヤの腕の中に飛びつく。
ぎゅうっとしがみつくエーコの瞳から、やがてぽろぽろと涙が零れだした。
「…う…ひっく。…エーコ、すっごく、すっごくフライヤの事心配したんだからね。…フラットレイと幸せにならなくちゃ、許さないんだからね」
「もちろんじゃとも」
フライヤはエーコをあやすように、優しく腕の中に抱きしめ、髪に頬をすり寄せる。
「あーあ。エーコに花嫁取られちまったぜ?」
どうする?とパックは、少し意地悪い目つきでフラットレイを見上げる。
「いいんですよ。泣く子には勝てませんから」
とても穏やかな目をして、妻となった彼女を見つめるフラットレイに、パックはおや?という顔で彼を見上げ、それから満足そうに大きくうなずいた。


「本当にいいのか?フラットレイ、フライヤ。せっかく婆様の魔法で、王宮まで送ってもらえるっていうのに」
「それは大変ありがたいのですが陛下。外の騒ぎが気にかかりますし…」
フライヤが溜息をつく。
この騒ぎ、当事者として事の成り行きを見届けなければなるまい。
「今頃お父さんも見物に来ているのよね。まったく、恥ずかしいったら!」
「…………」
ベアトリクスとスタイナーの実力を知っているフラットレイは、おそらく自分の出番はないだろうと思いつつも、万一の場合に備えやる気十分であるが、呆れる女性陣を前に口をつぐんでいた。
「それでは皆様、これにて失礼致します」
一礼をして洞窟を去っていく新婚夫婦の後ろ姿を見守りながら、ギザマルークがつぶやいた。
「王よ。そなたの元には、良き竜騎士がいるな」
パックはギザマルークの誉め言葉に、嬉しそうに胸を反らす。
「我も久しぶりに楽しませてもらった。イウレッタとあの竜騎士の血を引く数多くの者の中でも、あの者は特に…」
ギザマルークは愛惜に目を細める。
かつて竜の巫女姫に恋した竜騎士と槍を交えた事があった。ギザマルークの挑戦を受け、射るような真剣な眼差しで命がけの勝負を戦ったあの男の事が、ふと遠い記憶から甦る。
あれから気の遠くなるような歳月が流れ、多産の国ブルメシアで竜の巫女姫の血は、数限りない多くの者に受け継がれた。
伝説となった恋人達の血を受け継ぐ者も、そうでない者も皆、結婚式にはギザマルークの洞窟に詣でて、等しく永遠の愛を誓う。
ギザマルークは長い年月の間、それを見守って来た。そしてこれからも、ずっと…。
『王よ、そなたとはいずれ再び相まみえる事になろう。それまで賢く国を治められるよう』
紫と青銀の、翼持つブルメシア人から、竜に戻ったギザマルークの姿が宙にふわりと浮かぶ。
王と風の大巫女そしてリンドブルムの公女に挨拶するように、翼をはためかせると、水竜の姿はその場からかき消えた。




ギザマルークの洞窟前の草原では、未だ激しい戦いが続いていた。
まずベアトリクスの失われた右目の死角からの攻撃を試みたサラマンダーは、研ぎ澄まされた感覚で見えぬ位置からの爪の攻撃を素早く封じたベアトリクスの剣技に、思わず不敵な笑みを浮かべる。
「流石だな。“百人斬り”の異名通り、久々に楽しませてくれそうだ」
ペロリと爪を舐め、下卑た科白を吐いて、高潔な女騎士を煽る。
期待に違わず、間髪入れずにサラマンダーを襲う剣の斬撃を、爪で受け止めた。
殺気と言うより、触れればたちどころに切れてしまいそうな、静かでいて苛烈な気を放つ女将軍が、サラマンダーの闘争本能をどこまでも駆り立て、血を熱くする。
「グラビデ拳!」
「ストックブレイク!」
互いの技が、同時に炸裂する。
息を詰めて戦いを見守るギャラリーの中には、スタイナーの姿もある。
鞘に収めた剣を地面に垂直に立てて両手を添え、直立不動のまま2人の戦いを冷静に見つめている彼の側に、誓いの儀式を終えたばかりの花婿花嫁が近づいて来た。
血の跡は消し去ったとはいえ、あちこち切り裂かれ半分ボロと化した花婿の礼装に、スタイナーは眉をしかめたが、輝くような幸せいっぱいの2人の表情が全てを物語っている。
「フラットレイ殿、フライヤ殿。誓いの儀式は無事済まされたようですな」
何も聞かず、何も問わず。いかつい顔に笑みを浮かべるスタイナーの足元には、雷鳴剣で黒こげになったジタンが転がっている。
ご自慢の鎧はちょっぴりヘコんでしまっているものの、スタイナーは騎士の約束を果たせた事に満足そうである。
「スタイナー殿も見事獲物を仕留められたようで。流石、音に聞こえた女王陛下の親衛隊長」
にっこりとフラットレイも笑う。
「(うう…。せめてフライヤ、フェニックスの尾を…)」
ぷすぷすと音を立てて、戦闘不能状態で転がっているジタンを、幸か不幸か周囲の者も全員ベアトリクスとサラマンダーのバトルに夢中で、誰1人気にとめる者さえいないようだ。
「ま、お調子者のこやつには良いお仕置きじゃな」
最後の頼みの綱のフライヤが、冷たい口調で言い放つ。
「(そんな〜・泣)」
結局ジタンは戦いが終わり、皆が広げた弁当を食べ終わるまで、そのまま放っておかれた。
(クイナのお弁当があまりに美味だった為、全員お腹いっぱい幸せいっぱいで、不幸な尻尾の君は完全に忘れ去られていたらしい)


ベアトリクスとサラマンダーの戦いは、勝負の行方が全く見えないまま、徒に時間だけが過ぎて行く。
己が技を駆使して幾度となく勝負を仕掛けるが、ことごとく相手の技がそれを受け止め、跳ね返す。
女王陛下の護衛を務める大陸一の剣士と、裏世界No.1の名にかけて、負ける訳にはいかぬ。
肩で息をしながらも、先にスキを見せた方が負けるという認識が互いにある為、どちらも一歩も譲らぬ激しい戦いを見せる。
―――チッ。このままじゃ埒があかねぇ。
サラマンダーが舌打ちをした。
繰り出した攻撃にベアトリクスが防御の構えを見せた間に、一旦間合いを取って後方に下がる。
「ラニッ!」
叫ぶや、相棒の彼女がうなずくのを見届けるまでもなく、サラマンダーは隠しから円月輪を数個取り出し、正確にベアトリクスを狙って投げつける。
セイブザクィーンでそれを全て弾き返したと思った時には、サラマンダーがベアトリクスのすぐ目の前にいた。
「もらった!」
円月輪を楯に、ベアトリクスに肉迫したサラマンダーが、爪を振りかざす。
凄まじい闘気が凝縮され焔色の燐光を放つ爪を、反射的にセイブザクィーンで防ごうとした次の瞬間。
「しまった!!」
焔の輝きを放つ闘気は、ベアトリクスではなく、彼女の愛剣を標的として解き放たれた。
「…武器破壊技!」
文字通り敵の武器ごと粉砕する技であるが、それが達人の持つ優れた名刀であるなら、破壊に要する力も凄まじいものとなる為、サラマンダーの武器も耐えられない。
ラニのつぶやきにシドがごくりと息を飲む間にも、彼女は抱えていたルーンの爪をサラマンダーに向かって投げようと身構えている。
サラマンダーの意図を察知したベアトリクスは、逃れる事の叶わぬ状況で、渾身の気をセイブザクィーンに込めて一気に放出した。
剣を折られる事は武人の屈辱である以上に、ベアトリクスにとってセイブザクィーンは前女王より賜った、半身にも等しい戦友だった。
むざとこのまま破壊されるより、一か八か―――。
焔色の気と白の気が2人の激しい闘志そのままに、凄まじい力で正面からぶつかり合った。
「うおっ?!」
「ああッ!!」
衝撃波は周囲のギャラリー達をも襲い、全員それぞれ顔を腕でかばって、顔を背ける。
渦巻く風が凪いだ時、激しい衝撃で弾き飛ばされ、草原に倒れ伏すベアトリクスとサラマンダーの姿が目に飛び込んで来た。
ピクリとも動かぬ2人に、全員凍り付いたようにその場に立ち尽くしている。
しんと静まりかえる空気の中、シドが前に進み出て一同を見渡した。
「この勝負、引き分けじゃ。各々方、異存はあるまいな?」
スタイナーもラニもうなずくと、恋人と相棒の元に駆け寄る。
「旦那、焔の旦那。ほら起きなよ。旦那ってば!」
乱暴に、頬をぺちぺちと叩く。
「……るせーな。聞こえてる。…あまり耳元でわめくな」
目を開けたサラマンダーは、ゆらり立ち上がる。
「ベアトリクス、しっかりするのである!」
大騒ぎをしているスタイナーに抱きかかえられたベアトリクスも、意識を取り戻した。
倒れた時に打った頭と足首の捻挫に顔をしかめながらも、自らのケアルガで怪我の治癒をする。
そこへサラマンダーが近づいて来た。
炎のような闘志は消えているが、勝利の喜びの欠片も纏っていない彼に、ベアトリクスは勝負の行方を悟る。
「今回の勝負は、どうやら引き分けのようですね。とても残念です」
決着をつけるどころか、気を失って醜態を晒した屈辱にベアトリクスは唇を噛む。
「無論だ。あんたとはまた闘りてぇ。勝負の機会も、いずれあるだろうよ」
サラマンダーは不敵な嗤いを見せて、くるりと背を向けた。
「ベアトリクス」
フライヤが彼女の側へやって来ると、花嫁のブーケを手渡した。
「これはおぬしへの礼じゃ。勝利の祝いとならなかったのが、ちと残念じゃがの」
「ありがとう存じます、フライヤ」
純白のブーケを手にする誉れに、ベアトリクスはみるみる柔らかな表情になる。
「お待ちなさい、ラニ」
ふと、サラマンダーの後をパタパタと追うラニを呼び止める。ベアトリクスはブーケから、一輪の白薔薇を抜き取ると、ラニに向かって放った。
「サンクス♪」
薔薇を受け取って、実に嬉しそうに顔を輝かせるラニに、サラマンダーが訊ねる。
「…ブーケの花とやらが、そんなに嬉しいもんなのか?」
まるでそこらの町娘と変わらぬ様子ではしゃぐラニに、首を傾げるサラマンダーに答える代わりに、ラニは白薔薇を彼に突き出した。
「旦那の手で飾ってよ、髪に」
ここで否と言って花を放り投げでもしたら、目の前のラニと、遠くからその様子を見ているフライヤとベアトリクス、更にはフラットレイとスタイナーにまで必殺技をお見舞いされそうな雰囲気だ。
「…………」
渋々、花をラニの髪に飾ってやる。
「ね、似合う?」
上機嫌でサラマンダーの腕を取るラニに、彼はぼそりとつぶやく。
「…おまえも女だったんだな」
ドガン!
激怒したラニの斧の一撃に、サラマンダーの身体は見事に地面にめり込んでいた。
この日以来、“あの焔色のサラマンダーを、たった一撃でどつき倒した女”という恐怖伝説が、裏の世界でラニについて回る事になる。サラマンダーもあえてそれを否定しなかった為、ラニに近づこうとする男共は影を潜めたという。
サラマンダーがわざと殴られてやったのは明らかだが、そこまで彼が計算していたかどうかは定かでない。
「…たく、本気でどつくな」
サラマンダーはやれやれとつぶやいて立ち上がり、怒気を振りまきながら立ち去るラニをのんびりと追いかける。
「サラマンダー!」
フライヤの声に、彼は振り返った。
「おぬし、神殿の儀式には出席してくれるのであろう?」
戦いを済ませ、そのままいずこへともなく立ち去ってしまいそうな男に、不安げに声をかれるフライヤに、サラマンダーはわずかに口元を緩めた。
「心配するな。ついさっきまで敵として戦った女や、妙なお祭り気分のギャラリー連中と一緒に、仲良く弁当広げてメシを食う気がしないだけだ」
そう言って、サラマンダーはラニに追いつくと、一緒にヒルダガルデへと乗り込んでいった。




ヒルダガルデで一足飛びに蒼の王宮に戻ったフラットレイとフライヤは、急ぎ王宮内の大神殿へと参内する。王宮の庭に着陸したヒルダガルデを出迎えたのは、アルスターとウルリッヒの双子の竜騎士。
「アル、ウル。出迎えご苦労」
「誓いの儀式は無事済んだようだな…って、おまえ何だ、そのボロボロの衣装は?! グランドドラゴンとでも戦ったのか?!」
あちこち裂けた礼装に目をむく友人に、フラットレイは苦笑を浮かべる。
「まあね。名誉ある勲章ってところかな」
その言葉に微笑んで、組んだフラットレイの腕に更にきゅっとしがみついて、頬を寄せるフライヤに、双子の竜騎士達は肩をすくめる。
「お〜お、何ともお熱いことで」
「目の毒、目の毒」
呆れたように手を振るウルに、背後に控えていた仲間達もクスクスと笑い出す。
「お客人方は、どうぞこちらへ。花嫁花婿殿は風の大巫女様がお待ちですので、アルと一緒に大神殿へどうぞ」
ようやく職務を思い出した竜騎士達の案内で、結婚の最後の儀式の準備をする為、フラットレイとフライヤは神殿へと向かう。
2人の結婚式の準備の為、いつもは静かな大神殿への回廊も、どことなくあわただしい空気が漂っている。
「誓いの儀式で何があったか知らないが、こっちも大変な事になってるぞ、フラットレイ。
何せその若さで、名誉ある王宮近衛竜騎士団長殿だ。おまえを妬んで足を引っ張りたがってる連中が、こぞって大神殿に押し掛けて来るそうだ。おまえが結婚報告の儀式で、何か失敗するのを楽しみにな。敵が多いと、何かと苦労するよな♪」
妙に嬉しそうに言うアルスターも、フラットレイの失態を待ち構えているのが、ありありと判る。
「モンスターより人間の方が怖い、か。なるほど、陛下の言葉は正鵠を射ているな」
かつてパックがトレノの街を指して言った言葉を思い出す。
ブルメシアを守護する水竜との戦いより、今度の敵は手強いかも知れぬと、フラットレイは気を引き締める。
いつものように、にっこり笑顔で反撃して来るかと思いきや、神妙な面持ちになるフラットレイにアルは「こいつ心底本気でフライヤに惚れているな」と頬を緩める。


事の発端は、パックの戴冠式だった。
祝賀の式典で天竜の舞を踊る竜騎士達のリストに、フラットレイの名がない事を知ったとある貴族が、よりによって王宮の主立った者を集めて行われた公式の前夜祭の席で、侮蔑の言葉を述べたのだった。
「ブルメシア王国にとって最大の祝賀である陛下の戴冠式に、栄えある竜騎士団長殿が祝いの舞に参加されないとは、一体どういう事でありますかな?
代々の騎士団長殿は、自ら進んで天竜の舞に参加し、新しい国王陛下への御祝いと忠誠とを舞で示したものですぞ。
それとも竜騎士ならば誰もが知っている筈の舞も、記憶喪失とやらで忘れてしまわれたのですかな? いやはやこれは詮無い事を申し上げました」
事実その通りだったので、何を言われても穏やかな笑みを浮かべたまま、絶対零度の殺気だけを募らせていくフラットレイの姿に、危険を察知した周囲の者は静かに慌てふためく。けれど水を得た魚のようにようにしゃべりまくる当の子爵殿は、フラットレイに当てこすりをする絶好の好機に夢中になっている為か、はたまた戦いとは縁のない生活を送っている為か、恐ろしい程の殺気にも全く気付いてないようだ。
「…私には式典の間、陛下を護衛する勤めがあります故。陛下よりも直々に、その旨承っております」
「ほう? 流石は最強の竜騎士殿。陛下の覚えもめでたい事ですな。
だが裏を返せば、フラットレイ殿の部下に陛下の護衛は任せられない、すなわちそれだけの実力を持った竜騎士がおらぬという意味にも取れますな。
先の大戦で多くの優れた竜騎士を失ったとはいえ、もし万が一にも騎士団の実力が以前より弱体化してるとなれば由々しき問題ですぞ? これでは一臣民として、まことに不安でなりませんなぁ、皆様方」
子爵の側にいた貴族達も、そうだそうだとうなずく。
完全な言いがかりであるのだが、何か口を開く前に、手にした槍で目の前の子爵をブチ倒してしまいそうだと、フラットレイは目一杯の自制心で自重を続ける。
「フラットレイ様はどのような舞も、誰よりも上手に踊りこなせますわ。
天竜の舞を踊らぬのは、式典で陛下に魔法学を授けた風の大巫女様がお側に付き添われるように、フラットレイ様には武術の師として、また大戦前に陛下と共に旅をされた友として、側に控えていて欲しいと、陛下ご自身が望んだからでございます」
耐えかねたフライヤが、間に割って入る。
キリキリと柳眉を吊り上げ、きついエメラルドの瞳で睨まれても、愚鈍な子爵殿は動じずむしろしてやったりとばかりにほくそ笑む。
「ほう、どのような舞でもですか。…確か、貴殿らの結婚式が、戴冠式の後にありましたなぁ。
結婚式は、前国王陛下の喪が明け、パック陛下の戴冠式が済んでから、とおっしゃる貴殿らの心構え、実に結構。
フラットレイ殿の舞を、婚約者殿がそこまで賞賛されるのであれば、報告の儀の舞も大層素晴らしいものであるのでしょうな。私もぜひ結婚式に出席させていただいて、それを見届けたいものですな」
「…よかろう。元より大神殿での我々の結婚の儀に出席を望む者を、拒んではおらぬ。そこの貴公の友人方共々、好きに儀式を見届けられるがよい」
いつの間にか周囲に物見高い人垣が出来て、事の成り行きを興味津々見守っている。
「それから近衛竜騎士団の実力をお疑いのようですが、ならば明後日式典の後に行われる御前試合で、最も幼い竜騎士見習いの中より誰でも、貴殿が指名して勝負なさるが宜しい。
見習いの者の勝ちに、私は竜騎士団長の地位を賭けても結構ですぞ?
…ただし貴公が勝てなかった、その時には―――」
「う……」
フラットレイと同等の代償を暗に要求され、周りの好奇の目が一斉に子爵に集中し、彼は目を白黒させる。
これだけの衆目の前で賭を宣言したとなれば、流石に酒の席の戯れ言では済まなくなる。
彼より王宮での地位の高い者が何人も、面白そうにフラットレイとのやりとりを眺めているのだ。
「フ…フン。見習いとはいえ、厳しい試験を経て騎士団に選ばれし者。どう考えても戦いには素人の私とでは、公平な勝負とは思えませんな。それより貴殿らの結婚式、楽しみにしておりますぞ」
目一杯嫌みな笑いを浮かべて去って行く子爵の背中を、負け犬を見るように貴婦人達の失笑が追う。
更に翌日。
戴冠式を無事終え、手に王錫を持ち重いマントを引きずりながら、大神殿を退出するパックに居並ぶ出席者達が跪き、新たなる王に最敬礼をする。
パックの後ろに従うのは、神殿の司である風の大巫女と、鮮やかな装飾を施した式典用の刃を潰した槍を手にした竜騎士団長フラットレイ。
恭しく頭を垂れる件の子爵も参列者の中にいたが、パックも彼に従う竜騎士団長も、何事もなくゆるやかにその前を通り過ぎて行く。…ように見えた。
王が大神殿を出て行った後、重い扉が閉じられ、列席者達が各々立ち上がった時だった。
子爵も立ち上がった途端、ぽろりと彼の頭上から何かが落ちた。
落ちたカツラを目にした子爵が蒼白になると同時に、大神殿にクスクス笑いがあちこちから響き渡る。
ブルメシアの有力者達ばかりか、他国からの賓客の前で大恥をかいた子爵は、急な病を患ったと称して、長い事王宮に姿を見せなかった。
その話を女官長から聞いたパックは大爆笑して、自分もその場にいたかったと大層くやしがったという。
誰の仕業かは…聞くまでもないだろう。
竜騎士達もまた、竜騎士団に向かい罵詈雑言を並べ立てた子爵に悪感情を抱いていたから、団長殿に拍手喝采を贈ったという。


そのような経緯があった為か、子爵とその取り巻き以外にも、噂を聞きつけた数多くの諸侯貴族を始め、王宮の女官や侍従、竜騎士達から一般兵士まで、手の空いている者はこぞってフラットレイとフライヤの結婚式に出席するという。
「大丈夫ですわ。結婚報告の儀、必ずやつつがなく終らせる事が出来ますわ」
フライヤが満面の笑みを浮かべる。
儀式で踊られる舞はブルメシア人男子の、生涯最大の試練とも呼ばれている。
娘達はどんな身分の者でも幼い頃から舞を習うが、男は神官にでもならない限り、祭りの舞を覚えるのがせいぜいで、竜騎士とていくつかの式典の際の舞はあっても実情は似たようなものだ。
「そーだなー、もしおまえが儀式で何かドジを踏んだら、俺達竜騎士団も何言われるか判らないしなぁ。1月ほどおまえの家で新妻の手料理をご馳走してもらっても、バチは当たらないよな♪」
アルの言葉に、フライヤは思い切り深い溜息をついた。
「……アル、おぬしまで陛下やウルと同じ事を言うとは…。
断って置くが、私は野外での煮炊きはともかく、かまどを使った料理は未だ火加減がよう判らぬのじゃ。味の保証出来ぬ物を、それでも食べたいと申すか?」
先日も花嫁修行の為グラタンに挑戦したのだが、完成したのは表面は真っ黒、中身は半生な代物だった。長い旅暮らしでどんな粗食にも耐える事の出来るフラットレイは、おいしいよ♪と言って出来損ないのグラタンを完食して平然としていたが、味見をしたメイド頭は腹痛を起こし慌てて医者を呼ぶ騒ぎとなった。
以来クレセント家ではフラットレイは鉄の尾ならぬ鉄の胃を持つ男と、ひそかに呼ばれている。
「おまえ達揃いも揃って、毎晩新婚家庭の邪魔をしに来る気か?
陛下はともかく、おまえとウルがいると1月も経たんうちに、わが家の酒蔵がからっぽになる」
騎士団の中でもアルスターとウルリッヒの双子は、フラットレイやフライヤ以上の酒豪として知られている。
「で? もし私が完璧に儀式をこなしたら、毎日の夕食をご馳走する代わりにおまえは何をしてくれるのかな?
陛下は結婚式後の4日の休暇に加えて、更に4日間休暇を下さると約束して下さったが?」
いつもの危険な笑顔に戻ったフラットレイに、アルは渋面を作りながら内心ほくそ笑む。
「…仕方ない。俺とウルの秘蔵のワイン、ブルメシア産セレネとアレクサンドリア産アウロラ、リンドブルム産イシスを、おまえ達に進呈しようじゃないか。どれもヴィンテージの極上物だぞ♪」
いずれも最上級のワインとして非常に名高い銘柄である。双子の弟のウルからも同じ約束をされているので、フラットレイとフライヤへの結婚祝いに2人が最初から用意していた物と容易に知れる。
パックも同様に、戴冠式が終わるまで多忙を極めたフラットレイとフライヤへの、ねぎらいを意図してのものだ。
「無論、全力は尽くすさ。どんなに私が舞に関しては素人でも、名だたる舞の名手たる我が花嫁殿の名誉を、私が損ねる訳にはゆかぬからな」
フラットレイの言葉に全幅の信頼を示すように、フライヤの尻尾が嬉しそうに揺れる。
神殿の入口では、巫女と神官がフラットレイとフライヤを待っていた。
2人を大神殿まで案内して来た竜騎士の任務はここまでとなり、以後新郎新婦の世話は神殿に仕える者達に引き継がれる事となる。
「フラットレイ様、フライヤ様、禊のご用意が出来ております。どうぞ参られませ」
花婿と花嫁の禊所へと続く回廊は、左右にぞれぞれ分かれている。しばしの別れを名残惜しむように、フラットレイとフライヤはふと互いを見つめ合う。
「フラットレイ様」
ふわり、と白い手がフラットレイを引き寄せ、素早くキスをする。
「どんな舞も上手く踊れるおまじないですわ。誓いの儀式の前には、フラットレイ様がして下さいましたから」
「…うん」
フラットレイが少しはにかんだようにうなずく。
こうしてフラットレイとフライヤは、結婚報告の儀式の準備の為に、大神殿の奥へと導かれていった。




一方、儀式の開始時刻が近づくにつれて、大神殿の巨大な伽藍堂にはぞくぞくと人が集まっていた。
意匠を凝らした燭台には、甘く華やかな芳香を放つ無数の蝋燭が灯され、人々の話し声にさざめく神殿内を明々と照らし出している。舞を奉納する神楽舞台は、巫女達の手によって清められ、新郎新婦の登場を今や遅しと待っていた。
「ふん。いくら花嫁が王家ゆかりの姫とはいえ、たかが辺境の村出身の竜騎士団長の結婚式に、よくもこれだけ人が集まったものですな。しかも非公式の訪問とはいえ、アレクサンドリア女王にリンドブルム大公夫妻までご臨席と来ている」
子爵が鼻を鳴らす。そもそもどんな大貴族と呼ばれる者とて、望んでも叶わぬ王宮の大神殿での婚儀そのものが気にくわない。
「子爵殿とフラットレイの、例のいざこざがありましたからな。宮中の者は皆、興味津々なのでしょう」
「なに、これだけ大勢の人々の前で、万一何か失態があれば、奴も今までのように陛下の御前や王宮で大きな顔をしていられなくなりましょう」
子爵とその友人達がフラットレイの悪口を声高に話している背後に、のそりと大きな影が忍び寄る。
「ふーん。ブルメシアじゃあ、新郎新婦の不幸を願うような性根の腐った連中まで、その本人の結婚式に出るんだな」
「なにぃ?」
一斉に振り向いた子爵達の前に立っていたのは、焔色のサラマンダー。その傍らの褐色の肌をした美少女も、彼等を蔑みの目で眺めている。
「何だ貴様は?」
「…花嫁の元“仲間”、だ。結婚式を祝うつもりがないんだったら、とっととここから失せろ。目障りだ」
親指で背後の大扉を示す。
裏の世界に生きる者が纏う独特の、血と死の匂いを隠そうともせず、サラマンダーは軽く一歩にじり寄る。
「う…」
サラマンダーの放つ気配だけで圧倒された子爵達は、思わず後ずさるが、既にラニがその背後を取っていた。
だらだらと子爵の額に、冷たい脂汗が滲む。
「俺は今、非常に機嫌が悪い。俺の前から消えろ。さもなけりゃ…」
サラマンダーは低く唸ると、ゆっくりとした動作で懐に手を入れる。鈍い光を放つ研ぎ澄まされた何かの金属光が、子爵の目にも見えた。
「(…ひいっ!!)」
なけなしの貴族としての対面とプライドも投げ打って、今すぐにでもここから逃げ出したいが、足がすくんでしまって全く動けない。
傍目にも気の毒な程、冷や汗を浮かべて震えている子爵を救ったのは、偶然通りかかった少女の声だった。
「サラマンダー。何やってるの、こんな所で?」
エーコが好奇心旺盛な瞳を輝かせて、サラマンダーと子爵とを交互に見上げている。
「なんだ、おまえか」
子爵を恐怖で呪縛していた視線が、ふと足元に向けられたのに、彼はほっと息を吐いた。
リンドブルムの公女殿下は、パックの戴冠式の際にもブルメシアを訪れているので、子爵も見知っている。
エーコの側には、彼女を大神殿まで案内して来た女官長も控えているので、流石にこの場で無体な事を赤毛の大男が行おうとすれば、竜騎士達が駆けつけて来て男を神殿から放り出すだろうと、子爵が強気を取り戻した時だった。
ふとエーコが、じーっと彼を見つめているのに気が付いた。
「何か私に御用ですかな、リンドブルム公女様?」
にこやかな笑顔を浮かべた子爵の顔を、尚もエーコはじっと見つめている。
「おじさん、どこかで会った気がするのよね。どこでだったかしら。えーと…」
考え込んでいたエーコが、ぽん、と手の平を打った。
「あーっ思い出した! あなた、パックの戴冠式の時のカツラのおじさん!」
無邪気な叫び声に、息を殺して成り行きを見守っていた列席者達から、一斉に押し殺した忍び笑いが漏れる。
「ふーん、どれどれ? あ、ホントだ」
ラニが子爵のカツラを軽く持ち上げ、ぽんぽんと元に戻す。サラマンダーが無言で睨んでいるので、子爵は何一つ抵抗出来ない。
「ブルメシアのカツラってすごく良く出来てるねぇ。見た目全然わかんないもの。あたしも今度ウイッグ作らせてみようかなぁ」
とぼけたラニの感想に、ますますクスクス笑いの声が高くなる。
いたたまれなくなった子爵とその仲間達は、そそくさと神殿を逃げるように後にした。
「ねぇ、いいの?」
エーコが子爵の後ろ姿を目で示す。
「いいんだよ。あいつ、新郎新婦の悪口を大声で話してたんだ。大事な結婚式にそんな奴、いて欲しくないだろ」
ラニの話に、エーコも嫌悪の表情を浮かべる。
「さ、さぁエーコ様。あちらで大公殿下がエーコ様を、首を長くしてお待ちでございます。そちらのお二方も、どうぞご一緒に参られませ」
女官長も肩を震わせ、懸命に笑いを堪えている。
一番前の桟敷席には既に大公夫妻と、ガーネット、ジタン、ベアトリクス、スタイナー、ビビの子供達やクイナが着席していた。
エーコはガーネット達と通路を挟んだ反対側、シド大公夫妻の隣の席に滑り込む。エーコの隣、通路に面した席はブルメシア国王の為に設けられた席だったが、パックはまだ姿を見せていない。
サラマンダーとラニも空いていた席に、適当に腰を下ろした。
「それではわたくしは、あちらに控えておりますので、御用がありましたら遠慮なくお申し付け下さいませ」
「ありがとう。女官長のプディングとパイ、パックの言っていた通り、とっても美味しかったわ」
「光栄でございます、エーコ様」
滑らかな動作で頭を垂れて、女官長が壁際に下がった。
大神殿の正面扉が一旦閉じられて、ざわめいていた神殿内がしんと静まりかえる。
神官長の合図に、ブルメシア人達が一斉に立ち上がった。最前列のエーコ達もそれに習う。
扉が開かれ、まず姿を現したのは国王パック。
堂々と中央の通路を歩くパックに、ブルメシア人達が次々に敬礼をする。
ガーネット、大公夫妻と目礼を交わして、パックが静かに己の席の前に立つ。
そしていよいよ、今日の主役である花婿と花嫁の登場である。
フライヤは巫女の衣装を元にデザインされた、純白のキュロットに長く裳裾を垂らした蘇芳色の薄衣を重ね、白銀の髪にも同じ色のヴェールを短く流している。
美しい花嫁とその髪に飾られた4輪の銀竜花を目にした女性達から、口々に羨望の溜息が漏れた。
フライヤの手を取るフラットレイの衣装は、やはり神官風の丈の長い純白の衣に、濃い蒼の上衣を重ねている。
良く目を凝らして見ると、金糸の刺繍で縁取られた2人の婚礼衣装には同じ月と竜の紋様が織り込まれており、燭台の明かりに複雑に表情を変えながら絹の艶やかな光沢を放っている。
大神殿に拍手が鳴り響き、暖かな祝福の言葉が次々にかけられる中、フラットレイとフライヤは静々と中央を進み、神楽舞台下に設えられた花婿花嫁の席につく。
パックが着席するのを合図に、フラットレイとフライヤ、儀式の参列者達も各々の席に腰を下ろした。


まずは舞台の両そでから4人の巫女が現れ、神楽舞台に上がる。
巫女達が歩く度に手首と足首に着けられた鈴が、シャラシャラと耳に快い音を立てた。
風に舞う鳥が羽根を広げたような4人の巫女の衣装は、それぞれ碧、朱赤、水色、濃茶と4大精霊を表したものである。
巫女達は舞を奉納し終えると、舞台の後方に控えて立つ。
続いて現れたのは、豊穣の女神に扮した1人の巫女。
先の巫女達とは違い、足首まで隠れる白の法衣にブルメシアンブルーの衣を重ね、銀色の雨を思わせるヴェールを頭に被って、顔を覆い隠している。
けれど咲き初めの白い花の枝を手に持ち、楽に合わせてゆるやかに踊るその巫女の、白銀の肌は隠しようもない。
ブルメシアの豊穣の女神の舞は、新郎新婦の門出を祝うに相応しく、華やかな中にも女神が手にする咲き初めの花のごとき清楚な可憐さを、所作の端々から匂い立たせている。
「パック。あれって風の大巫女様…よね?」
それがどうかしたのか?とパックが気のない返事をする。
「大巫女様って、おばあさんなのよね? なのにどぉしてあんなに、華奢で可憐な舞が舞えるの?!」
うら若き乙女が舞っているとしか見えない大巫女の舞に目を丸くするエーコに、パックがああ、と破顔する。
「まるで別人みたいに見えるって言うんだろ?
婆様は“舞の舞台そのものが1つの魔法”と良く言っているがな。
同じ豊穣の女神を舞う場合でも、収穫祭の時なんかは荘厳な雰囲気を漂わせた女神を演じるし」
舞台下で真剣な眼差しで舞を見つめているフライヤとフラットレイと同様、パックも舞台から決して目を離そうとはしない。
「婆様って俺は呼んでるけど、実際は俺の父上と、ちょうど俺とフライヤの年齢差と同じ分しか変わらないし。
でも婆様もいーかげんトシだから、俺が成人して結婚式を挙げる頃には祭司として式は取り仕切れても、舞を舞う事が出来るかどうかって言ってたからなぁ」
その舞を心の奥に焼き付けておこうというように、目を細めて舞台を見つめるパックの尻尾が、楽の音に合わせてパタパタと揺れている。
エーコもそれ以上パックに話しかけるのは止めて、改めて居住まいを正して大巫女の舞を見る。
「なんて見事なの…」
ガーネットがつぶやくと、ジタンが周囲を憚るようにそっと小声で囁く。
「バクー曰く、役者に例えるなら舞台の上で“本物”を演じる、超一流の女優。よーく目を開いて勉強して来いって言われた」
神殿にいる誰もが、音楽と舞の織り成す魔法に目を奪われている。
やがて舞が終わり、風の大巫女が優美に一礼をしてから、舞台奥に下がった。
「フラットレイ殿、フライヤ殿。壇上に参られよ」
2人は立ち上がると、舞台上の大巫女の前に進み出る。
「フラットレイ殿、フライヤ殿。キザマルーク様の洞窟での誓いの儀は、無事済まされましたかの?」
「はい。ギザマルーク様より、祝福を賜りましてございます」
2人の返答に大巫女が大きくうなずく。
「なれば風の神殿に誓いの証として、舞を捧げよ。
其をもって、汝ら2人を夫婦と認めん」
「我ら両名、謹んで風の神殿に契りの舞を捧げ申し上げまする」
大巫女に一礼した後、フラットレイがフライヤの手を取って舞台の中央に進み出た。
そっと2人の手が離れ、定められた舞台の位置に付く。
儀式の参列者全ての視線が、2人に注がれている。
緊張と雑念を振り払うようにフライヤは軽く深呼吸し、すっと面を上げて、最初の形を取る。それを合図に楽師達が音楽を奏で始めた。
艶やかに舞を舞うフライヤの視線の先には、常にフラットレイの穏やかな蒼い瞳がある。
寄り添いながらステップを踏む時も、少し距離を置いて合わせ鏡のように舞う時も、美しい形を決めて静止するフライヤをフラットレイが支える時も、常にエメラルドと蒼の瞳は愛しき者の姿をその中に映し出している。
ふとフライヤは、竜騎士の位を得た年の一陽来復の祭りで、フラットレイと2人で舞を踊った時の事を思い出した。
あれから長い長い年月が流れ、フラットレイの記憶からは、その事も失われてしまったけど…。国王お気に入りの舞姫として公式非公式の場で、あまたの舞を舞い続けて来たフライヤが、ただ自分とフラットレイの為だけに踊る、初めての舞。
溢れ出る限りない喜びと愛おしさとを満面に表して、フライヤとフラットレイは舞い続ける。
風の大巫女にも決してひけを取らない見事な舞を舞うフライヤに対し、フラットレイは慣れない拙い舞であるにもかかわらず、威風堂々たる態度で見る者に全くそれと感じさせない。
「あいつも大した役者だぜ、くそっ」
ジタンが口の中でつぶやいた。
嬉しいような、ほんのちょっぴり悔しいような。
良い舞台を見せられると、役者としての血が騒ぎ出す。無意識のうちに、2人の舞に合わせてトントン、と足でリズムを取っている。
楽の音に更なる華やかな響きが加わり、フライヤとフラットレイの契りの舞が終わりに近づいている事を教える。
舞台中央で舞うフライヤから離れ、フラットレイが舞台を大きく回り込んで、再びフライヤの手を取る…筈が、フラットレイの大胆な足運びに長い裾が捌き切れず、思い切り裾を踏んづけてしまった。
舞台上に控える風の大巫女と4人の巫女達に、サッと緊張が走る。
ぐら、とバランスを崩して転びそうになるのを懸命に堪えるフラットレイの胸元に、フライヤが自ら飛び込んで来て、彼の身体を支える。
そのまま抱き合って頬を寄せ合う2人は、傍目には花嫁が、花婿の差し伸べる手を待ちきれずにその腕の中に飛び込んで行ったようにしか見えず、観客達は目を細めて微笑んだ。
後にアルとウル双子の竜騎士に、あんなお熱い演出なんぞ入れなくとも充分ラブラブだったぜ〜と、ツッコミを入れられる事となるのだが、フライヤの素早い機転で無事窮地を乗り切った2人に、巫女達もそっと安堵の吐息を漏らす。
助かった、と感謝の眼差しを送るフラットレイに、フライヤはいいえ、と婉然と微笑みを返す。
そのまま1つの影のように、2人はぴったりと寄り添って舞う。楽の音が高らかに鳴り響き、フラットレイがフライヤをかき抱くように最後の形を鮮やかに決めて静止した。
楽の音の余韻が静かに消えると、惜しみない賞賛の拍手が沸き上がる。
「素敵。素敵な舞だったわ!」
エーコを始めとする仲間達も、心からの拍手を2人に贈った。
フラットレイに手を取られ、フライヤは優雅に片膝をついて深々と一礼をすると、風の大巫女の前に進み出る。
「2人とも実に見事な舞であった!」
「ありがとう存じます」
花婿と花嫁は頬を上気させ、満足そうに微笑み合う。
「汝らの契りの証たる舞、確かに見届け申した。風の神殿の祝福を、汝らに授けようぞ」
跪くフラットレイとフライヤに、大巫女が手にして舞った咲き初めの花枝を渡す。
この花枝を受け取った瞬間から、2人は正式に夫婦として認められる。
恭しく花枝を受け取ったフラットレイとフライヤに、風の大巫女が厳かに祝福の言葉をかける。
「その花枝がどのように花開くかは、汝らの心次第じゃ。
フラットレイ殿、フライヤ殿、幸せにの」
「ありがとう存じまする」
静々と立ち上がった2人は改めて、夫となり、妻となった最愛の者の顔を見る。
皆の祝福の声に包まれ、はにかみつつも溢れる喜びに輝くような満面の笑みを浮かべるフライヤを、フラットレイが抱き寄せ、優しく口づけた。


−Fin−





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