〜竜の国の狂詩曲 4〜





フライヤ達一行がギザマルークの洞窟に到着すると、洞窟に駐在する国境警備の兵が総出で彼らを出迎えた。
「竜騎士団長フラットレイ殿、フライヤ様、ご結婚おめでとうございます!」
「ありがとう」
「ありがとうの」
フラットレイと、彼に寄り添うフライヤが、共に艶やかな至福の笑みを浮かべる。
「竜騎士団長殿、そちらのお2人は付き添いの方々で?」
警備隊の隊長がフラットレイ達の後ろに控えている、鎧姿の騎士と隻眼の女騎士に視線を向ける。
「アレクサンドリアの将軍ベアトリクス殿と、プルート隊隊長スタイナー殿だ。これから少しばかり物騒なお客人方がここに来るのでね、私とフライヤの代わりにお相手して下さるそうだ」
さらりと笑顔で答えたフラットレイの言葉に、兵士達は騒然となる。
「ひゃ、百人斬りベアトリクス…。それに世界を救ったという、あの勲(いさおし)の英雄……!」
あまりに名高い霧の大陸最強の剣士2人が、共に揃って相手をするという物騒な客人とは、一体何者なのか?
動揺と戸惑いを隠せない兵達に、フライヤが武人らしく軽く頭を下げる。
「騒がせてすまぬの。かつて私と共に旅をした仲間達が、妙な悪ノリをしおって、ここに押し掛けて来るのじゃ。おぬし達では手出し適わぬ故、ベアトリクスとスタイナーが護衛を引き受けてくれたのじゃ」
「フライヤ様の仲間と言われますと、やはりあの8人の英雄のうちの…?!」
眉間にしわを寄せたフライヤがうなずく。
いくら生きて伝説となった英雄とはいえ、あの百人斬りベアトリクスに、伊達と酔狂で挑む無謀者がいようとは…と、兵士達は互いに顔を見合わせる。
「この2人がおれば、おぬし達に迷惑がかかるような事はあるまいがの」
「無論ですわ。我が刃にかけて、お約束致します」
それまで無言で、2人の竜騎士とブルメシア兵のやりとりを見守っていたベアトリクスが、ふぁさと髪をかき上げ、薄く笑みを浮かべる。
艶やかな美しい微笑みの、奥底に隠された凄みに気圧され、兵達がごくりと息を飲む。
「しょ、承知しました!」
隊長が敬礼を取ると、兵達も一斉にそれにならう。
「…では洞窟の方へどうぞ。アレクサンドリアの方々も、飲み物などご用意しますので、詰め所へおいで下さい」
隊長の案内で、彼らはギザマルークの洞窟に足を踏み入れた。
「ベアトリクス殿、スタイナー殿。後を宜しくお願いします」
フラットレイとフライヤが、深々と頭を下げる。
「まかせるのである! 貴殿らは安心して結婚式を挙げられるとよい」
胸を叩くスタイナーに、ベアトリクスもうなずく。
その言葉に微笑み合った恋人達は、仲良く寄り添うと、洞窟内の扉の向こうへと消えて行った。


国境警備兵の詰め所で、スタイナーとベアトリクスがしばしお茶で喉を潤していると、やがて空から低いエンジン音が響いて来て、それとほぼ同時にブルメシア兵が2人の前へと現れた。
「ご報告します。リンドブルム船籍の飛空艇が1機、こちらに向かって着陸する模様であります!」
来たか…!
同時に顔を上げると、スタイナーと目と目が合う。
ふっと紅い唇をほころばせるベアトリクスと、きつく表情を引き締めるスタイナー。
それだけで充分だった。戦いを前に余計な言葉は必要ない。
ベアトリクスは椅子から立ち上がると、その感触を確かめるように、愛剣セイブザクィーンの柄に手をやった。
ベアトリクス、スタイナー、そしてブルメシア兵達が見守る中、ヒルダガルデの優美な船体がギザマルークの洞窟前に降り立つ。
ハッチが開いて現れたのは、鮮やかな焔色の髪の男。
「焔色のサラマンダー…!」
裏世界にその名を轟かせる、かつての賞金首筆頭の姿を目にしたブルメシア兵達が、息を飲む。
悠然たる足取りでこちらに近づく男の後から、シド大公とラニ、エリンなど飛空艇の乗組員達が、各々巨大な包みを腕に抱えて、にぎやかに降りて来た。
「…大公殿、その包みは何なのですか?」
不審に思ったベアトリクスが、思わず訊ねる。
「弁当じゃよ。腹が減っては戦見物も出来んからのう♪ おまえ達の分もあるから、安心せい」
「…………」
ピクニック気分で足取りも軽い笑顔のシドに、聞かなければ良かったとベアトリクスが後悔したのは言うまでもない。
「ラニ、これを預かっててくれ」
サラマンダーが差し出したのは、ルーンの爪。彼自身はデュエルクローを装備している。
「何じゃ、最強の武器を使わんのか?」
シドが首を傾げる。
「万一の時の保険てとこだ。ま、お楽しみは最後に、ってな」
サラマンダーが不敵に嗤う。
彼の意図を察しているらしいラニは、ただ黙ってうなずくだけだ。
「さて、こっちはいつでもいいぜ“百人斬りベアトリクス”」
中央に進み出たサラマンダーが、指でベアトリクスを差し招く仕草をする。
「こちらも、いつなりと」
ギザマルークの洞窟を背にしたベアトリクスも前に出て、サラマンダーと対峙する。
軽く柄に手をかけ、抜刀の構えをみせるベアトリクスの、剣が抜かれたその時こそが、戦いの開始の合図。
2人を遠巻きに囲むギャラリー達が息を殺して、その瞬間を今かと見守る中、スタイナーだけは戦いに目もくれず、周囲に油断なく視線を巡らせる。
あの男が見当たらないのだ。…そう、ジタンの姿が。


その頃ジタンはギザマルークの洞窟の上空にいた。
ヒルダガルデが着陸態勢に入る直前、搭載してあった1人用超小型飛空艇を勝手に拝借し、目指すはアープス山脈の向こう側、ギザマルークの洞窟のリンドブルム側入口。
「へへっ♪ まさかスタイナーのおっさんも、俺が反対側の入口から洞窟に忍び込むとは思わないだろ」
頬を撫でる風に口笛を吹きながら、眼下を過ぎ行く景色と、つかの間の空の旅を楽しむ。
機首を上げ、アープス山脈の高く連なる峰々を越えた、その時だった。
突然、見えざる壁に激突したような激しい衝撃が、飛空艇を襲った。
飛空艇はたちまち、コントロールを失って落下する。
「うわ〜〜ッ!!」
今のは一体何だったのかと考える余裕もなく、ジタンは必死で飛空艇の機首を上げコントロールを取り戻そうと、操縦桿やレバーの類を操作しまくる。墜落にしては落下速度がひどく緩やかなのにも、全く気付くヒマすらない。
きりもみ状態からやっと脱出して、無事地上にへろへろと着地する飛空艇を、ふわりと風が支えた。
「ふうー。危なかったぜ」
飛空艇を停止させ、ジタンは心から安堵の溜息をついた。
「それはこちらのセリフだ、ジタン。おまえがアープス山脈を越え、リンドブルム側に行ったとなれば、騎士としての約束を違える事になってしまうからな」
「げっ、その声は!」
ジタンが慌てて外を見ると、スタイナーがニタリ笑うのが見えた。
「…という事は、ここは…」
「ギザマルークの洞窟の、ブルメシア側入口だ」
「は…あはは…」
ジタンは引きつった笑いを浮かべる背中で、オリハルコンをそっと握りしめる。
飛空艇のドアを一気に蹴破り、宙に身を躍らせると、スタイナーの肩を踏み台にして、さらに向こう側へとジャンプした。
軽やかに着地し、ギザマルークの洞窟へ向かって駆け出す。
「うぬぬぬ〜。待て〜! ジタン〜!」
鎧をガチャガチャ鳴らしながら、スタイナーは慌ててジタンを追いかけ始めた。


「―――今の、婆様が?」
その様子を水鏡で見ていたパックが、風の大巫女に問うと、大巫女はうなずいた。
「風の結界じゃよ。結婚式に邪魔が入っては困るのでしょう?」
「あったり前よ! 愛する人と2人きりで永遠の愛を誓う、そんな女の子の夢をお邪魔虫してぶち壊そうなんて許せないわ!」
力説するエーコとて似たようなものであるのだが、本人は全然その自覚がないようだ。
「しっ! エーコ、儀式が始まるぜ」
パックの声に、エーコも口をつぐんで水鏡に映る光景を見守る。


ギザマルークの洞窟、ブルメシアの守護竜が棲まうという水路を渡り、聖なる契い窟の扉の前にたどりついたフライヤとフラットレイは、警備の兵から渡されたベルを2人の手で鳴らした。
涼やかなベルの音が扉の鐘と共鳴し、扉の封印を解く。
「フラットレイ様…」
契い窟に足を踏み入れ、喜びと緊張で頬を薔薇色に染めるフライヤに、フラットレイも目を細め、この上なく優しい笑顔を見せる。
「行こう、フライヤ」
「はい…」
差し出されたフラットレイの手に、白い手を重ね、2人は祭壇の前に進み出た。
早鐘を打つ心臓を静めようと深呼吸し、そっと傍らに立つフラットレイを見上げると、彼もまたフライヤと同じ心境であったらしく、同じ仕草をして、少し照れくさそうに彼女の方を見た。
フライヤの手をギュッと握るフラットレイの手から、彼の想いと共に、暖かな力が流れ込んで来る。その力に励まされ、フライヤが満面の笑みを浮かべると、フラットレイも緊張が解けたのか、穏やかな笑顔になる。
フラットレイがわずかにうなずくのを合図に、2人は結婚の誓いの祈祷文を声を揃えて唱え、祈りを捧げた。
そして古き時代より連綿と伝わる結婚の儀式の、最後の誓いの言葉だけは、フラットレイとフライヤの己の言葉に換えて、永遠の愛を誓う。
「私達は、たとえ己が槍が折れようと、竜の魂尽き果てる時まで、互いに助け合い、愛し合うことを誓います」
『その誓い、認める訳にはゆかぬ』
突然洞窟内に、声が響いた。
祭壇前に人のものではない強大な気が収束し、反射的に身構える2人の前に、それは姿を現した。
「ギザマルーク様!」
洞窟の主である水竜は、冷たく光る青銀の瞳で2人を見下ろしている。
「私とフライヤの結婚の誓いを、認めていただけぬとは何故に?」
フラットレイは、フライヤをその背にかばうように、1歩前に進み出る。
『女竜騎士よ、そなたには、先の大戦での借りがあったな? その借りを今、返そうぞ』
ギザマルークの言葉に、フライヤがあっと悲鳴を上げる。
問うような眼差しのフラットレイに、フライヤが過去の出来事を語った。彼女のエメラルドの瞳は今にも泣き出しそうな程、激しい動揺に揺れている。
「…1年前、リンドブルム狩猟祭の直後に、ブルメシア襲撃の報を聞いた私達は、ギザマルークの洞窟ルートを使って、故国へと向かいました。
その時、妙な2人組に操られ荒れ狂われたというギザマルーク様を、私はこの手で倒して――ッ!!」
その後は言葉にならなかった。
ブルメシアの守護竜に愛を誓い、祝福を授かる筈の儀式が、その竜の逆鱗に触れてしまうとは。
あれ程夢見て、やっとこの日を迎えたフラットレイとの結婚は、一体どうなってしまうのだろう?
震えるフライヤの身体がふわりと宙に浮き上がり、ギザマルークの手の上に納まる。
フラットレイは傍らに立てかけてあった片刃の槍を手に取ると、その切っ先をギザマルークに向けて身構えた。
「フライヤとの間に、どんな事情があったかは知らぬ。だが彼女をほんの少しでも傷つけるというのなら、たった今述べた誓いの言葉通り、私は御身を倒し、それをもって我が結婚の誓いの証と成そうぞ」
「なりませぬ、フラットレイ様!
ギザマルーク様は、ブルメシアの分水嶺を守る水の神。ブルメシアが砂漠に隣接しながら、豊かな実りを得られるのも、全てギザマルーク様の守護あっての事。
もしそのような事をすれば、ブルメシアを流れる水流が狂い、国土は乾き、人々は飢えに苦しみ、遠い年月の果てに国全体が砂漠に飲み込まれてしまいます!」
「だから君を見捨てろと言うのか?! 私にはブルメシアの国や民などより、今、この場で君を守る事の方が遙かに大切だ!!」
『ほう? 今の言葉、竜騎士としてあるまじき発言だな』
しごく冷静にギザマルークが言う。
「…ブルメシアの守護神でありながら、私怨でフライヤに復讐しようという御身も似たようなもの」
フッと可笑しそうにギザマルークが嗤った。
『何もこの女の生命を取るとは言ってはおらぬ。
…そうだな、この上なき美しい花嫁である事だし、我が水界に連れ帰り、我の妻とするのも一興か。恋人や同胞の住まうこの界から隔絶するだけでも、十分な罰であろうからな』
その言葉に、鋭き刃の光を宿したフラットレイの瞳が、スッと細められる。
氷の気を纏わりつかせた蒼き竜の周囲に、緩やかに風が集い始める。
『どうあっても我と戦うつもりか―――よかろう』
フライヤの周囲を水の障壁が取り囲んだ。泡のように彼女を封じ込めた水球が、ギザマルークの手を離れ、ふわふわと祭壇の上に降りて、宙で停止する。
『フラットレイ様、なりませぬ!』
水の牢獄の中で、フライヤは首を横に振りながら、懸命に叫ぶ。けれど激しい怒りに燃えるフラットレイには、その言葉も耳に届かない。
『そなた確か、ブルメシア最強と謳われる竜騎士であったな。ならば我も、相応の姿でもって相手をしよう』
言うがギザマルークは、人の姿へと変じた。
研ぎ澄まされた槍、青銀の髪と瞳を持った、壮年のブルメシア人。
けれど大きく違うのは、彼は透ける青紫の大きな翼を背に持っている。
―――こいつは厄介な事になりそうだな…。
淡々と、そう思った。
「かかって来るがよい」
獰猛な雄叫びを上げて、フラットレイはギザマルークへと斬りかかって行った。


「どうなってるんだ?!」
「ちょっと! どういう事なの?!」
パックとエーコは口々に叫んで、風の大巫女を振り仰ぐ。特にエーコなどは、今この場に召喚獣を呼び出しかねない程の剣幕だ。
「お二方とも、お静かに。確かにこのような事態は、結婚の儀ではありえぬ事。
……わらわには推し量る事は出来かねますが、ギザマルーク様には、何かお考えがあるのやも知れませぬ。もうしばらく様子を見守る事に致しましょう」
「婆様、そんな悠長な!」
「フラットレイ殿の槍術については、陛下の方が良くご存じでありましょう?」
冷静な大巫女の言葉に、子供達は怒りと困惑の入り混じった表情で顔を見合わせた。
2人はもう1度大巫女の方を見上げるが、彼女は微動だにせず水鏡を覗き込んでいる。
「パック、あんたブルメシアの国王でしょう? 何とか出来ないの?」
「…婆様の魔法の助力があれば、いつだってこの場からフラットレイに力を貸す事は出来る。
…でも、俺はフラットレイを信じる。フラットレイなら、必ずフライヤを助けてくれる」
「……うん」
パックの言葉に、エーコは引っ張るように掴んでいた少年の腕を、ぎゅうっときつく握って力強くうなずいた。


目にも止まらぬフラットレイの斬撃を、ギザマルークはあっさりと槍で受け止めた。急激に角度を変えて、あらぬ方向から再び迫り来る片刃の槍を、幾度となく受け流す。
―――強い。
ならばと、見上げるような洞窟の天井ギリギリの高さまでジャンプしたフラットレイを追って、ギザマルークがその翼を広げた。
たちまち空中で、激しい槍の応酬戦となった。
フラットレイの槍が、ギザマルーク目がけて斜めに空間を薙ぐ。
その瞬間、ギザマルークの姿が消失し、敵を切り裂く手応えの代わりに、刃がむなしく空を斬る。
「甘い!」
ギザマルークは軽い羽ばたき1つで、フラットレイの正面から真上に移動すると、槍の石突きでフラットレイの背を力一杯打ち付けた。
「かはっ!!」
地上へと落下し、地面へと叩き付けられる。
どうにか受け身を取ったフラットレイは、全身が痛みに悲鳴を上げるのもおかましなしに、その場を飛びすさる。
一瞬遅れて、頭上からギザマルークの槍が飛来し、水竜の化身が地上に降り立つ。
「桜花狂咲!」
その瞬間を狙い澄まして、フラットレイの竜技が炸裂した。
だがギザマルークの全身を包んだウォータの魔法が、竜技の威力を全て相殺すると同時に、彼のダメージを回復する。
「何ッ?!」
流石に驚愕するフラットレイに、ギザマルークは口元を軽く吊り上げる。
「無駄な事だ。ここは我が領域。清い水がある限り、そなたは我を傷つける事など出来ぬ。
この洞窟に湧き出づる、アープス山脈の天と地の恵みの水を支配する我を滅ぼそうとは、まこと愚かな奴よのう」
「…………」
水に加えて、竜騎士同士の練習試合でもしばし空中戦を演ずる事はあるが、空を自在に駆る翼を持つギザマルークが、遙かに有利なのは自明の理だ。
フラットレイはスウッと呼気を吐き出すと、己の槍に気を集中させる。
「ほう? 風を使うか?」
研ぎ澄まされた片刃の刃の周囲に、風が集い、収束を始める。
「竜剣!」
再びギザマルークに立ち向かって行くフラットレイの目前に、ギザマルークを守る水の壁が出現する。
フラットレイはそれにかまわず、竜剣を放った。
竜剣の威力がウォータに相殺される…筈が、刃の纏った風がカマイタチへと変化して水の障壁を切り裂いた。
「…っ!」
ぱたぱたっと、床に鮮血が散る。
竜剣と、ギザマルークの槍が、共に相手の身体に突き刺さっていた。
「なかなか、やるじゃないか」
一太刀浴びせられた胸元を押さえながら、ニッとギザマルークが嗤った。
フラットレイも無言で左腕に受けた傷をチラリと見やる。
とっさに身体を捻って避けたものの、ギザマルークの槍は正確に彼の心臓を狙っていた。
ふわりとギザマルークが羽ばたくと、フラットレイも彼を追って跳躍する。
フラットレイを待ち構えるように宙に停止したギザマルーク目がけ、槍を一閃する。
鋭い斬撃の応酬の後、フラットレイの身体は重力に引かれて落下を始める。
そこを狙ったギザマルークの槍を、片刃の槍が防ぐと同時に、ギザマルークの身体をフラットレイが思い切り蹴って、横様に跳ぶ。
目前に迫る洞窟の壁を、柔らかく膝で捕らえて反転、再びギザマルークへと肉迫する。
次の瞬間、ギザマルークの前髪の一部が宙に舞い、フラットレイのマントがはらりと裂けた。
狭い洞窟内と竜騎士ならではの身体能力を武器に、フラットレイは縦横無尽に跳び回る。
翼なき身では空中での動きが制限される為、ギザマルークと刃を交える度に、次第に傷を負って行くが、それでも果敢に攻撃を続けるフラットレイに、ギザマルークが舌打ちをする。
「チッ」
ギザマルークがフラットレイ目がけて、腕をサッと振り下ろす。高圧で射出された水が刃となって、フラットレイの身体を無慈悲に切り裂いた。
「うぁぁぁッ!!」
そのまま彼は壁の岩に叩き付けられ、重く鈍い音を立てて、石造りの床へと落下した。
「う…」
激痛に目がくらむ。あばらの2、3本は折れているだろう。
カツン、カツン、カツン。
ギザマルークがゆっくりと彼に近づく音が、冷たく洞窟内に響く。
フラットレイは槍を支えに身体を起こすと、渾身の力を振り絞って竜の紋章を放った。
世界が一瞬まばゆい白の光に染まり、描かれた魔法陣より出現した竜が、ギザマルークを飲み込む。
光が消え、世界が再び色彩を取り戻した時、ダメージを受けたもののギザマルークは、その場に変わらず立っていた。
青紫の翼を広げた死の御使いの歩みは、止まる事なくフラットレイに近づいて来る。
残った力を全て使い果たしたフラットレイは、最早立っている事も出来ず、その場に頽れた。
「もう終わりか、竜騎士よ? そなたの恋人は、そなたの為に巫女歌を歌っているぞ?」
ギザマルークの声に、フラットレイはうっすらと目を開けて、祭壇の上のフライヤを見上げた。

フライヤを閉じこめている水泡は、中で彼女がどんなに叩いても、竜騎士の脚力で蹴っても、ゼリーのようにその衝撃を全て吸収してしまう。
武器の類を一切身につけて来なかったのが、どれ程悔やまれた事か。仮にここから脱出出来たとしても、フラットレイの更なる足手まといになるだけだ。
けれど、ただ泣いて助けを待つのではなく、何かフラットレイの為に出来る事がある筈だ。
フラットレイがギザマルークの槍に傷つく度、フライヤの心臓もナイフで切り裂かれような痛みと悲しみにエメラルドの瞳から涙を零しながら、あの大戦を乗り越え還って来た彼女のもう1つの戦士としての不屈の心が、懸命に記憶を探り始める。
水が竜技の魔法ダメージをも吸収してしまうとしても、ギザマルークとフラットレイの会話が聞こえるなら、もしかして…。
フライヤは遠い昔に習った、巫女歌を歌い始めた。
ブルメシアでは、音楽と踊りに魔法が宿るとされている。涙に震える声が、やがてしっかりとしたメロディーを紡ぎ始めると、癒しの風がフラットレイの身体を包み込む。

「レーゼの風? …いや、これは癒しの巫女歌か…?」
竜技と同じ優しい風が、徐々にフラットレイの傷を回復してゆく。
いつから彼女は歌っていたのか。目の前の敵を倒す事に全神経を集中していたフラットレイには判らぬが、水の檻の中でフライヤは、目を赤く泣きはらしながらも歌い続けている。
―――ああ、そうだ。あの試合でも君は、どんなに追いつめられようと、決して勝つ事をあきらめたりはしなかった。
白と銀の礼装を紅に染め、苦痛と失血に半ば意識を手放しそうになりながら、それでもフラットレイは彼女に向かって微笑んだ。
「フラットレイ様…」
彼の為に懸命に歌いながら銀色の雫をこぼす愛しき者の記憶が、最早これまでかと覚悟していた満身創痍のフラットレイに新たな力を与える。
―――どのみち死ぬのなら、最後のその瞬間まで戦ってやる!
フラットレイは、ぐっと槍を固く握りしめる。
「そなたが立てるようになるまで、回復の時間を与えてやろう。とどめの一太刀をくれてやるにしても、抵抗も出来ぬ者にそうするのは我は好かぬし、最強の竜騎士の最後にも相応しくあるまいからな」
冷たい石の床に倒れ伏した身体の傷が癒しの風で少しづつ回復して行く間にも、フラットレイは体内の気を集中し高めて行く。
それに呼応するかのように、フラットレイの内なる竜の魂の奥底で眠っていた、何かがぞろり、と目を覚まし始める。
ゆら、と立ち上がったフラットレイは、凶悪な破壊衝動を伴ったそれに、操られるままに心も思考も何もかも空け渡した。
フラットレイを優しく包んでいた風が、怯えるようにピリピリと震えだす。
覚醒した完全なる竜の魂が、その持てる力を解放し始めるに従い、彼が纏っていた燐光が蒼き竜の姿を形作る。
ただ目前の敵を倒す。猛々しい、純粋な破壊の力が頂点に達した時、フラットレイはギザマルークに向けて、引き絞ったその力を解放した。
「――――!!」
狂気にも似た力は、蒼き竜の牙となって、ギザマルークの姿を飲み込み、引き裂く。
それを見届けたフラットレイは、今度こそ石畳に倒れたきり、動かなくなった。


水鏡の向こうが輝く蒼い光に覆われ、やがてそれが収束するや、風の大巫女は泉の上へと、一歩足を踏み出した。
水面に魔法陣が浮かんだかと思うと、大巫女の姿は瞬時にかき消えた。
ハッと弾かれたように立ち上がったエーコが、ためらいもせず泉に足を踏み出そうとするのを、パックが慌てて小さな手を掴んで引き止める。
「バカッ、よせっ!!」
振り返って、パックに何事か言おうとエーコが口を開きかけた時にはもう、2人の子供はドボーンと派手な水音を立てて、泉の中へと落ちていた。
―――だからよせって言ったのに!
昔、やはり同じように大巫女の後を追おうとして、泉に落ちた経験のあるパックが心の中で叫ぶ。
水の中にいるのでなければ、声に出して悪態をついているところだ。
エーコの手だけは絶対に離すものか、と騎士のように固く自らに誓うパックとエーコの身体は、どこまでも深い深い水の中へと沈んで行った。


ギザマルークの洞窟に転移した風の大巫女のアレイズで、フラットレイの意識は冷たい暗闇より引き戻された。
「もう、この辺で宜しいでしょう、ギザマルーク様」
片翼を折った無惨な姿で、苦しげに膝をついていたギザマルークはうなずくと、祭壇の上のフライヤに視線を投げた。
ぱちん、と音をたてて、フライヤを閉じこめていた水泡が、しゃぼん玉のように割れた。
フライヤは転がるように、フラットレイの元へと一目散に駆け寄ると、彼の身体をしかと抱きかかえる。
「フラットレイ様! フラットレイ様ッ!!」
フライヤの声に反応して、フラットレイが薄く目を開ける。
「…ん。…フライ…ヤ…?」
青い瞳が、次第に彼女の姿を映し出すと、フライヤはわっと声を上げて涙を零しながら、フラットレイにしがみつく。
髪を撫でようと伸ばされた男の手が…ふと途中で止まり、彼は困ったように苦笑を浮かべた。
「ダメだよ、フライヤ。私から離れるんだ…。折角の君のウェディングドレスまで、血で汚れてしまう」
「そんな事言ってる場合ではありませぬ! 戦いの間、ずっと私は生きた心地もしなかったというのに!!」
涙顔で、眉を吊り上げ声を荒らげるフライヤに、フラットレイは「やっぱり怒っている顔も可愛い」などどつぶやいて、呆れるフライヤに嬉しそうな笑顔を見せた。
その間にギザマルークの傷も、風の大巫女のケアルガで癒されていた。
大巫女はフラットレイとフライヤの前に進み出ると、床に膝をつき、頭を垂れた。
「フラットレイ殿、フライヤ殿。此度の件、全てわらわがギザマルーク様にお願いして仕組んだ事。
大切な結婚式を台無しにしてしもうた事、幾重にもお詫び申し上げまする」
神殿の最高位にあり、元王族でもある風の大巫女に跪かれ、2人の竜騎士は慌てた。
「大巫女様、顔をお上げ下さいませ!」
「……仕組んだ、とは一体どういう事なのです?」
冷ややかな声に、大巫女がスッと顔を上げ、正面からフラットレイの青い瞳を見つめる。
「それは―――」
「大巫女を責めてはならぬ。竜騎士よ、全てはそなたの為。
そなたが欲した究極竜技の1つ“竜牙”は、生と死の狭間の極限状態において、己が竜の魂の全てを解放して初めて成せる技」
ギザマルークの荘厳な声が、大巫女の言葉を遮る。
「我ら竜族の間に、古き言い伝えがある。
“遙かなる昔、この星に恐ろしい大厄災が起こった。世界が崩壊した時、我らの祖先の一部は人の子の姿となって、厄災から逃れた。だが彼等は、かつて竜であった事を忘れ、今も人の子として暮らしている。
人の子――すなわちブルメシアの民と、我ら竜族は元々1つの種族であった”と、な。
言い伝えが真実である証拠に、そなたらブルメシアの民は、その身の内に竜の魂を宿している。
だが、それはあまりに危険な、諸刃の刃。
竜の魂の完全なる解放と同時に、竜族の持つ破滅的な破壊衝動に心を飲まれ、正気を失ったり、あるいは力を使い果たして生命を落とした竜騎士は数多く存在する。無事生還できた者は、ほんのごく一握りに過ぎない。
故にその竜技は、神殿の奥深く封印される事となった」
「フラットレイ殿から相談を持ちかけられた時、わらわはフラットレイ殿が、その奇跡にも等しいわずかな可能性を実現出来るとするなら、この結婚式において以外あるまいと思い、ギザマルーク様と共に、事を謀ったのじゃ」
「でもどうしてギザマルーク様が? 禁断の竜技は、私も話に聞いた事がございます。使用した者の生命と引き換えに、凄まじい破滅の力をもたらすと。例えギザマルーク様とて、無事では済まぬ筈」
フライヤの言葉に、ギザマルークはふっと口の端を吊り上げた。
「無論、最上級呪文ウォータガで防御はしたとも。
そなたらの結婚式の邪魔をした代わりに、羽根の片方をくれてやっても、まぁ仕方あるまいよ」
青銀の瞳が悪戯っぽく笑ったように、フライヤには思えた。
「それに美しき女竜騎士よ、そなたに最初に言った筈。あの時の礼をする、とな」
あっとフライヤが、とある事に思い至って声を上げた。
フラットレイがより強き力を求めて、再び旅に出てしまうのではないか。そんな漠然とした、けれどいつの日か確実にその日が来るという、重苦しい不安。
「…ご存じだったのですか?」
「大巫女から話を聞いてな、それで2人で共謀したという訳だ」
ギザマルークがうなずく。
「―――確かに竜の魂の力、全て解放した時、私はその圧倒的な破壊の力に凌駕され、理性など欠片も存在しなかった。
心を取り戻せたのは、フライヤ、君がずっと私を呼んでいてくれたからだ。君の歌声が、こうして私に触れる君の腕の温もりが、私を呼び戻してくれた。
君から生命を貰ったのは、もう何度目になるだろう。本当にありがとう」
フラットレイはフライヤの背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「ギザマルーク様、風の大巫女様、礼を申し上げます。禁断とされた竜技以上に貴重なものを、私は再び得た気がします」
フラットレイは深々と頭を垂れると、ゆっくりとした動作で立ち上がり、フライヤに手を差し伸べる。その手を取って、彼女は優雅な仕草で身を起こした。
「フライヤ、改めて君に誓おう。
我が槍は竜騎士となりし時、王国に捧げたが、我が竜の魂は生涯、君1人に捧げん事を」
そう言ってフラットレイは、フライヤに優しく口づけた。
「そなた達の未来に、幸いあれ」
ギザマルークが、祝福の言葉を述べる。
「…ふむ。祝いついでだ、そなたらに水の祝福を与えよう」
ギザマルークが手を振ると、ウォータの魔法がたった今夫婦となったばかりの2人を包み、癒しの力を与える。
「この先、全ての清い水が、そなた達に力を与えるだろう」
「何よりの贈り物、ありがとう存じます」
微笑み合う2人だったが、ふいにフライヤが、おや?と不思議そうな表情を浮かべた。
「フラットレイ様の衣装が…?」
問うような眼差しをギザマルークに向けるフライヤに、フラットレイが自らの身体を見下ろすと、血の紅に染まっていた花婿の礼装が、元の白と銀に戻っている。
「我は水を支配する者。身体を流れる血もまた然り」
何気ない水竜の言葉に、フラットレイは背筋に冷たいものが流れるのを禁じ得ない。
「…つまり、御身がそうしようと思えば、私を簡単に殺す事も出来た」
「そういう方法は好まぬだけだ」
ギザマルークは、暗に肯定をする。
「何にせよ、これで結婚の誓いの儀式も済んだ事ですし、後は大神殿にて―――」
風の大巫女がそう言いかけた時、扉の向こう側で派手な水音が響いた。何事かと顔を見合わせる花婿と花嫁、風の大巫女、そして洞窟の主が、舞神窟に急ぎ駆けつけた。







      

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