レクイエム 5


気がつくと、アルスターとウルリッヒは“あの日”の王都に立っていた。黒魔道士兵の攻撃に燃え上がる街、逃げまどう人々の悲鳴。
「おい…」
「ああ…」
このまま道を真っ直ぐ行けば、彼らの家がある。2人は言葉少なに、道を駆け抜けた。果たして…。
「オルディーネ! カロリーネ! クリスティーネ!!」
瓦礫と化した家でアルとウルの妹達が、無惨な姿で横たわっている。
―――あの日と同じだ…何もかも…。
「う、うあああああーッッ!!」
絶叫を上げているのは自分なのか、それとももう1人の自分の方なのか?
そして世界は一変する。
どこまでも続く荒野に響く剣戟の音、累々と転がる仲間と敢の屍。上空には見た事もない最新鋭のリンドプルム艦隊が、せわしく飛んでいる。横合いから飛び出してきたアレクサンドリア女兵を、アルがとっさに槍で斬った。
「これは? まさか…これから起こる戦争だって言うのか?」
「たく…嫌なものばかり見せてくれるぜ」
風が血と、戦いの興奮の入り混じった匂いを運んで来る。
パックとガーネットは、早い段階でブルメシアとアレクサンドリアの和平条約を表明したが、王の側近である近衛竜騎士団の彼らとて、心の底ではアレクサンドリアを許し難く思っているのもまた事実。
妹達の仇を討つ絶好の好機、と槍をぐっと握りしめた時だった。突然、身近で空気が弾けるような音が、幾つも聞こえ―――飛空艇からの一斉掃射が、アルとウルを貫き、2人は空を睨むように、地面に斃れた―――。

フライヤが立っていたのは、王宮の正門の前だった。正門を死守する竜騎士団と、黒魔道士兵との激しい攻防を示すように、美しい彫刻と青い濃淡の色石で織りなされた紋様で装飾された正門も、今は見るも無惨な瓦礫の姿を雨に晒している。
王宮の中には、既に人の気配はない。そして正門の前を護るのは、ブルメシア軍元帥クレセントただ1人。味方はすでになく、彼自身、槍を杖に立っているがやっとの状態だ。
「父上……」
フライヤの目から涙があふれ出す。
また黒魔道士兵に追われて、王宮に逃げ込んで来る民がいる。若い青年と、フライヤと同じ位の少女。恋人同士なのだろう、青年が魔法攻撃から身を挺して少女を守り、転がるように正門を目指す。
『キル!』
黒魔道士兵の魔法の前に立ちふさがったのは、クレセントその人。
『早う王宮に! 入口左の建物に、王都の外に出られる隠し通路がある。皆、そこから脱出しておる!』
青年と少女を背にかばい、黒魔道士兵を目にも止まらぬ槍の一撃で葬り去る。何度も振り返って頭を下げ、正門の階段を上っていく2人に目を細め、クレセントは正門の壁によりかかるように腰を下ろす。
『あの娘御、フライヤとちょうど同い年ぐらいかの…。あれは今頃どこにいるのやら…。フラットレイを首尾良く見つけて、2人がギザマルーク様の前で誓いを立てるのを見るのが儂の楽しみじゃったが…どうやら、儂もこれまでのようじゃの…』
苦笑するクレセントが、戦闘で傷ついた脇腹を手で押さえる。
彼は最後に雨空の向こうに、愛おしげな暖かい眼差しを向け、それきり動かなくなった。
「………父上ッ!!」
フライヤの目の前を幾つもの戦いが、めまぐるしく通り過ぎ、彼女は再びクレイラの崩壊を目撃する事となる。そしてクレイラで再会したフラットレイが告げた、残酷な現実。5年の彷復の旅の始まりとなった、雨の中の別れ。
再び景色が変わり、深い絶望に彩られたままフライヤは、アレクサンドリアの女王の間で、ジタン達と共にブラネと対峙していた。
『私はこの場を去れぬ! ジタンよ、早く逃げるのじゃ!』
―――そう。あの時、故国の仇を討てるのなら、私はブラネと喜んで差し違えるつもりじゃった。
『否。おぬしは絶望の果ての、死を望んでいた。竜騎士の名に相応しい死を』
頭の中で声がする。……そう、その通りだ。
『今からでも遅くはあるまい? 生きていても、おぬしの絶望は更に深くなるだけ。…フラットレイの記憶は2度と戻らぬ』
フライヤが竜の髭の尖った穂先を、喉元に当てがう。頭の中の声に操られるように。
つと、白い喉から一筋、赤い血が流れる。
フライヤは声の呪縛に抗おうと懸命に試みるが、身体が言う事を聞かない。槍を握る手が、拮抗する力に震える。
―――嫌じゃ! かような幻惑に惑わされて果てるなぞ、おぬし達に笑われる。のう、ビビ。ジタン。エーコ。ガーネット。スタイナー。クイナ。サラマンダー…。
「たとえ過去を失うても、フラットレイ様は私を愛して下さる! 私はフラットレイ様のその愛を、心から信じておる!」
フライヤは凄絶な笑みを浮かべると、両の腕に渾身の力を込め、竜の髭を己から引き離した。呪縛の力がふっと消え、フライヤは意識を失った―――。

フラットレイは闇の中にいた。
一片の光すら差さぬ、果てしなく広がる虚無の闇。
時折、過去の残像が、闇の中に一瞬浮かんでは消える。家族に囲まれた幼い自分。竜騎士見習いの訓練風景。最強の竜騎士として、忙しくも充実した王宮での日々…。
幻よりも儚いそれを、必死に掴もうとするが、彼の中に見いだせるのは、ただ闇ばかり。目の前を通り過ぎたものを、どんなに思い出そうとしても、フラットレイの記憶の中には…何もない。
―――何も思い出せない。思い出せない。思い出せない!
「うああああッ!!」
苦しくて、苦しくて、気が狂いそうになる。
フラットレイは、彼に新たな、暖かい光を与えてくれた存在を、懸命に脳裏に思い浮かべ、意識を集中させる。このまま心が壊れてしまっても、彼女の思い出だけは2度と失ったりせぬように…。
「―――フライヤ。…フライヤ!!」
怜悧な顔(かんばせ)、こぼれる銀の髪に、白銀の肌。誰よりも強く優しく、少し哀しい瞳をした、彼の月の姫君。固く目を閉じたフラットレイの目前で、フライヤが微笑む。
幻となって儚く消えてしまう前に、そっと腕を伸ばし彼女を抱きしめる。
戦士として鍛えられた、けれど柔らかで暖かな感触。彼の良く知った妙にリアルな感覚に、フラットレイはそろそろと目を開けた。
「フラットレイ様」
フライヤが、彼の思い描いた通りの笑顔で微笑んでいた。
「…私、フラットレイ様の事を、必死で考えていました。そして気がついたら、ここにいたんです」
「私もフライヤの事を、ずっと考えていたとも。君だけを…」
フラットレイは幼子がすがるようにフライヤをきつく抱きしめ、その温もりに甘えるよう幾度も頬ずりをする。
「……この聞が、フラットレイ様の描く死の世界なのですね」
どこまでも広がる深く暗い闇。この何もない世界を、フラットレイはたった1人ぼっちで彷徨っていたのか…。
「今はフライヤがお側におります。ですから、どうかフラットレイ様。フラットレイ様も、私の手を2度と離さないで下さいませ」
「離すものか。たとえこれから何が起きようとも、絶対に君をこの腕の中から離しはしない」
しっかりと抱き合う恋人達の耳に、シャラン、と涼やかな鈴の音が遠くで響く。その音に一瞬、不思議な浮遊感と同時に闇が揺らいだ。
シャラン、シャラン。
巫女が舞う際に、人々をその音色で魅了し、幻惑に誘(いさざな)う鈴。奉納舞の前に、巫女見習いの童女達がその鈴を打ち鳴らして舞台を清める。ブルメシアの民ならば誰もが慣れ親しんだ鈴の旋律に心を重ねるうちに、2人は次第に現実に引き戻されて行く。
シャラシャラ、シャラン。
風の大巫女が鈴を振りながら、呪文の詠唱を続ける。
「―――デスペル」
結ばれた呪文が発動し、フラットレイとフライヤは再び王の間に立っていた。
死の幻影から解放された竜騎士達は、彼らのように正気を保っていられた者は数少なく、力なく肩を落とし床に座り込んだまま立ち上がれないでいる者、気を失っている者、そして…愛する者を失った深い悲しみと絶望に心が破れ、死の誘惑に抗い切れずに自ら命を絶った者…。
フライヤは激しい怒りに駆られるままに叫んだ。
「おぬし! おぬしと同じく霧から生まれた生命は、自らの最後の刻を知りながら…死の運命を直視しつつも、それでも懸命に生きようとしておる!
私にもいつか必ず、死の運命は訪れよう。じゃが、それは今ではない!!」
フライヤの言葉に呼応するように、残った竜騎士達が一斉に槍を構える。
「竜の紋章!!」
全身全霊を込めて放たれた竜技が、幾重にも重なる魔法陣を描き、出現した巨大な竜が敵を引き裂く。大巫女のホーリーと、精霊魔法の使い手であるパックの風の攻撃魔法もそれに加わった。
「バカな…こんなバカな事がッ!!」
再び霧と化したトートの身体の一部が、文字通り霧散していく。
「例え過去を失おうと、それは未来を捨てる理由にはならない」
「死せる魂よ。おぬしの帰るべき場所へ、帰るがいい!」
フラットレイとフライヤが、同時に最後の一撃を与える。
「…帰る場所など……我の在るべきは…麗しの…青の……」
風がうなりを上げ、霧に還ったトートを空へと誘(いざな)って行く。
力を使い果たした竜騎士達が、壁にもたれかかって見守る中、しめやかな楽の音と共に鎮魂の舞が始まる。静かに舞い続ける巫女の舞の力で、トートに取り込まれていた死せる魂達が解放され、風となって空へと還って行く。
『パック…』
「父上?」
『礼を言う。そなたなら、予を越えるブルメシアの偉大な王となるであろう』
風が名残惜しそうにパックの側を吹き抜け、空へ駆け上って行くのを、パックは身じろぎもせず見守っている。
「父上…どうか母上に、パックは元気でやっているとお伝え下さい」
トートの幻影の中で見た、肖像画でしか知らぬ母の姿――彼をこの世に送り出した後、そのまま永遠の眠りについた――を再び思い浮かべ、パックは静かに目を閉じた。
「フライヤ…。君は巫女の方々と共に舞わないのかい?」
フライヤはそっと首を横に振った。
「いいえ。もうそのような力は残ってはおりませぬ。それに…今はフラットレイ様のお側で、こうしていたい」
「ああ」
フラットレイの肩に甘えるようにもたれかかるフライヤを、フラットレイが嬉しそうに腰に手を回して抱き寄せた。フライヤとフラットレイは互いにもたれるようにして寄り添いながら、巫女達の舞で空へと還って行く魂を見守っている。
「ブルメシアの巫女の鎮魂の舞は、死せる魂を空に導くと言われております。霧となったガイアの魂も、本当は帰りたかったのでしょう。全ての生命の源、クリスタルに。
皮肉な事にクジャが、テラの…ガーランドの作り上げた魂を選り分けるシステムを暴走・破壊したおかげで、今ようやく彼らも、いつか帰るところに帰る事が出来るのですね」
ガイアとテラの魂は融合を始め、霧となっていた生命達も、いつかきっと新たな生を得る事だろう。フライヤは黒魔道士の村で静かに暮らす小さな黒魔道士の少年と、ジェノム達にふと思いを馳せ…それから寄り添い合う温もりの幸せに目を閉じる。
「うん…。これでようやく全てが終わるんだね」
―――そして始まる。新しい私達の未来が。
「え?」
フラットレイのつぶやきに首を傾げるフライヤに、フラットレイが優しく微笑みを向けて口づけた。




フラットレイが見事な美しいエメラルドを探し出して、フライヤに婚姻を申し込むのは、これより数ヶ月の後の話である。



−FIN−

       


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