レクイエム 4


王宮に運ばれたフライヤは、神殿の医師と風の大巫女の手当を受けた。
「―――フライヤ殿が戦われた深翠の巨大なグランドドラゴンは、恐らくポーポス高原の森の主(ぬし)でありましょう。その爪とブレスの猛毒は、通常の毒消しでは効かぬとか。
彼の者は長い年月、高原の森を支配し、人の住まう下の世界には決して関わりを持たなかった筈なのに、あまりに濃い霧の毒が森の主すら狂わせてしもうたのでしょう」
風の大巫女が瞑目する。
「フライヤ様のお命に別状はございません。ですが先程も申し上げた通り、薬湯を必ず2時間おきに飲ませて差し上げて下さい」
「承知しております」
手を尽くしてフライヤの治療をしてくれた医師と大巫女に、フラットレイが深々と頭を下げる。風の大巫女は医師に目線で合図して、彼を下がらせた。
「フラットレイ殿。フライヤ殿は、わらわの一番上の異母兄上(あにうえ)のたった1人の孫娘。異母兄上は掌中の珠のように、フライヤ殿をそれは可愛がられておられた」
風の大巫女はそっと、眠るフライヤの銀色の髪を愛おしげに撫でる。
「それはわらわにとっても同じ事。フラットレイ殿、どうかフライヤ殿をお頼み申し上げまする」
ブルメシアの風の神殿全てを統べる大巫女としてではなく、フライヤの身内として頭を下げる風の大巫女に、フラットレイは大きく首肯した。
「無論の事。彼女は我が槍にかけて、全力で護ります」
自然と言葉が口をついていた。風の大巫女が満面の笑みを湛えて、何度も何度もうなずく。
「嬉しや。フラットレイ殿のお言葉、異母兄上もフライヤ殿のご両親も、さぞ空の上でお喜びでありましょう。
フラットレイ殿。これからもフライヤ殿を大切にしてくりゃれ」
大巫女はもう1度フラットレイに頭を下げて、部屋を出ていく。1人残ったフラットレイは、フライヤのベッドの側に腰を下ろすと、そっと頬に手を触れる。フライヤの白磁の肌にほのかに赤みが戻り、呼吸も落ち着いている。
―――大事に至らなくて、本当に良かった。
毒で体温を失って行くフライヤを抱きしめた時、もしもこのまま彼女を失ってしまったら、と胸が切り裂かれるような痛みを覚えた。あんな恐ろしい思いは、もう2度としたくない。
―――私はフライヤに5年もの間、本当に辛い想いをさせてしまったのだな…。
帰らぬ恋人を捜し続けて、世界中を彷復った彼女の胸中は、どれ程のものであっただろう?
「…愛している」
詫びの言葉の代わりに口をついたのは、フラットレイの偽りのない本心。
「全てが片づいたら、君の為に宝石(いし)を探すよ。君の瞳の色そのままの、美しいエメラルドの指輪を。指輪が常に主の美しい顔(かんばせ)を映し出すように、私が君のエメラルドの中で永久(とわ)の囚われ人でいられるように。だからどうか…」
言いかけてフラットレイは口をつぐんだ。
―――だから君が早く元気になって、その美しい笑顔を見たい、というのはあまりに私の身勝手だな。
彼は微苦笑すると、フライヤの手を両手で包み込むように、そっと握りしめる。
「私はこうして君の側にいるから、安心して眠っておいで」

夕食の時間までに、特に見舞いを許された何人かがフライヤの部屋を訪れた。
アルとウルはいい匂いのする大きな花束を抱えて現れ、パックは自分もフライヤの看病をするのだと言って聞かなかった。パックは憔悴し切ったフラットレイに向かってこう言った。
「おまえ、ひどい顔してるぞ。おまえがそんな風だと、フライヤが目覚めた時、悲しむじゃないか。ここは俺にまかせて、さっさとメシでも食って元気になって来い!」
風の大巫女がパックの後から様子を見に来た事も手伝って、フラットレイはパックに部屋から強引に蹴り出されてしまった。それでも急いで食事を済ませて戻って来ると、再びフライヤの傍らに付き添う。
ようやくフライヤが目覚めたのは、真夜中近くの事だった。
「……フラットレイ…様…?」
思いがけず彼の姿が目の前にある事に、フライヤはかすかな驚きとそれ以上の喜びの色を浮かべて微笑む。
「気分はどう?」
「…大分いいです。…フラットレイ様、すみませぬがお水が欲しいです」
フラットレイはうなずくと、ベッドサイドの水差しを取り上げ、フライヤのベッドに腰を下ろす。そして水を自らの口に含むと、フライヤに口移しで飲ませた。
こくん、とフライヤが水を飲んだ後も、フラットレイは丹念にフライヤの口腔を舌で探って楽しんでいる。甘美なくちづけの熱さに、毒のせいではなく頭の芯がクラクラする。
「フ、フラットレイ様…!!」
何もこんな方法でと恥じらうフライヤに、フラットレイはすまして言った。
「おや。君が眠っている間、ずっとこうやって薬を飲ませていたんだが?」
クスクスと笑うフラットレイに、フライヤが呆れたように苦笑を浮かべる。
「…フラットレイ様。…ずっとここにいて下さったのですか?」
「うん。無鉄砲な銀の月の姫君が、無理をしないよう見張っていないとね。
すまなかった、フライヤ」
ふと真顔になったフラットレイが詫びるのに、フライヤが薄く微笑む。
「いいえ。フラットレイ様が私の代わりに、存分に戦って下されたのでしょう? だから良いのです」
フラットレイならば、たとえどんな手強い敵であっても、必ず倒してくれる。深い信頼に満ちた言葉を静かに紡ぐ彼女に、愛おしさが一層込み上げて来る。
「もう2度と、君をこんな目に合わせたりはしない。誓うよ」
するりとフライヤを腕の中に抱きしめて、再び口づける。
燭台の灯りが吹き消され、2つの人影が、やがて1つに溶け合い…。


翌朝。まだ薄暗いうちに目覚めたフラットレイは、傍らに眠るフライヤの姿に目を細めた。白銀の肌に彼の印した赤い花弁が散っている。フラットレイがそれにそっとキスをすると、白い耳がかすかに動いた。
「ん……」
薄くエメラルドの瞳が開く。
「おはよう。気分は?」
「……あまり良くありませぬ。昨夜フラットレイ様が、ご無体ばかりなさるものですから…!」
拗ねたようにぷいと向こうを向いてしまうフライヤを、フラットレイは後ろから抱きしめた。白い耳を甘噛みすると、フライヤは腕の中でクスクスとくすぐったそうに小さく笑い声を立てる。
ふと時計に目をやったフラットレイが、身を起こすと薬湯の小瓶を手に取った。
「薬の時間なんだけど、自分で飲む? それとも?」
とても嬉しそうなフラットレイを、フライヤはちょっと恨めしく思う。
「―――フラットレイ様が飲ませては下さらないのですか?」
声で仏頂面を作り唇を尖らせるが、フラットレイにそんなものが通用する筈もなく、彼は喜んでフライヤの望み通りにする。
フラットレイの夜食にと用意されていたサンドイッチはパサパサになっていたが、それもベッドで2人で寄り添って取る食事であれば気にならない。その後、簡単に湯浴みを済ませて、身支度を整える。
「本当に戦闘に復帰して大丈夫かい? もう1日休んでいても、誰からも文句は出ないと思うけど」
「なれば昨夜フラットレイ様のなされた事は何なのです? 貴方様のそのお優しいお言葉、昨夜に聞かせて欲しゅうございました」
返事に窮し、困ったように頭を掻くフラットレイに、フライヤは明るく声を立てて、自らフラットレイに口づけた。
「んっ…」
あと少しだけ、フラットレイの腕の中で甘えていたい。ドアをくぐって、共に戦場で戦う竜騎士として彼と並び立つ。それまで、あと少しの時間でいいから…。

フライヤのささやかな願いは、突然の細い悲鳴によって遮られた。
互いに顔を見合わせ、バルコニーに駆け寄る。
「あれは?!」
崩壊した王の間の上空に、白い霧が厚く層を成して渦巻いている。その下方が漏斗状に細く伸びて、破壊された天井から王の間の中へとみるみる吸い込まれて行く。
「…フ、フライヤ様、フラットレイ様!」
バルコニー下の中庭で、女官達が王の間の異変に悲鳴を上げている。
「おぬし達、早う他の竜騎士を集めるのじゃ。それ以外の者は決して王の間に近付かぬように、兵士達にも申し伝えておくれ」
「は、はいっ!」
フライヤの言葉に、女官達が震えながらも使命を果たそうと、王宮内に駆けて行く。
「私達も行こう」
フラットレイとフライヤが、バルコニーから王宮の屋根へと飛んだ。屋根から屋根へと、最短距離で王の間へ向かう。やはり異変を察知した竜騎士が何人も、王の間へ駆けつけるのが眼下に見える。
王の間へと通じる華麗な装飾を施された柱廊に飛び降り、フラットレイとフライヤが王の間の扉を蹴破るがごとく、勢い良く開く。
2人がそこで目にしたのは…。
霧の白一色に塗り込められた王の間で、玉座の前に一際濃い白い影がある。霧はその影に向かって、不気味に収束を続ける。
「フラットレイ! フライヤ!」
抜き身のレイピアを手に、パックがただ1人、王の間で影と対時している。騒ぎを聞きつけた風の大巫女も、竜騎士達と共に王の間へと飛び込んで来る。
「なりません陛下! お下がり下さい!!」
「誰ぞ、陛下を安全な所へお連れするのじゃ!」
フライヤとフラットレイが、パックを背にかばうように前に進み出る。
「安全? ここで退いたところで、今更何になる。俺は王として、この霧の正体を見届ける」
その間にも霧の影は更に濃くなり、やがてゆらりと人の姿を形作る。
「…父上…?」
クレイラ崩壊の瞬間、風の転移魔法を大神宮と共に唱え、民を救った代償に、己が生命力全てを使い果たして、クレイラの大樹と共に炎の中に散った筈のブルメシア王の姿に、一同は愕然となる。
「父上…そんな…どうして…?」
影がゆっくりとパックを見、口を開いた。
「然り。我はブルメシアの、そして全ての死せる者の魂であり、それ以上の者。我が名はトート(死)」
「貴様、どうやって王宮に?! あの霧もおまえの仕業か?!」
フッ、とトートが邪悪な笑みを見せる。
「知れた事。イーファの樹は星の地表に根を伸ばす。魂を取り込む魔法樹が、この地に満ちた死せる魂によって大きく成長するのは当然と言えよう。そして霧が、我を生んだ。
我はガイアに残った霧全てをこの地に集め、更にイーファの力を利用し死者の魂を我に取り込み、より強い意志と、力とを手に入れた。我は汝らの死の使いであり、死の運命そのもの。
我の目的はただ1つ。この地を、彷獲えるガイアの魂の安住の地と成す。
礼を言おう、大巫女よ。王宮の結界を維持していた汝の魔力が著しく衰えたおかげで、我は無駄な抵抗を続けていた者達を、こうして一気に葬り去る事が出来るのだから。ククク…」
父王の姿を取るトートを、パックは真正面からキッと見据える。
「ブルメシアを死者の都にするだと? ンな事させるかっ!!
確かに貴様は、父上や、青の王都とクレイラの民であったのかも知れぬ。だが逃げ延びた者達だって、この青の王都で再び生きる事を強く望んでいる。今この場にいる者達だってブルメシアの地を愛してやまぬから、皆、新たな王都再建の為に必死で戦って来たんだ!
例え貴様が本当に父上であったとしても、俺は貴様の言う事など絶対に認めない!
竜騎士達よ、王の勅命だ。ブルメシアに仇成す者を、討てッ!!」
嗚咽をこらえ、振り絞る悲鳴のようなパックの叫び。
蒼き竜がその命と同時に動いた。風と共に駆け、トートに竜剣の一撃を浴びせる。かつての主君と全く同じ姿形を取る者に槍を向ける事に一瞬躊躇した他の竜騎士達も、フラットレイに遅れを取ってはならじと、敵を円陣に囲って攻撃の構えを取る。
フライヤが槍に竜の気を集中し、それを振り上げると同時に、竜騎士達はめいめいに己が得意の竜技を放った。
目がくらむような眩い光が炸裂した。耳元で風がごうごうと唸る。
「―――ぐうっ!!」
閃光に飲み込まれたトートの輪郭が揺らいだ。衝撃に耐えきれず、片膝をついたトートがブルメシア王の姿から、霧の白い髪と肌、黒衣に不気味な黒光りのする三叉の槍(トライデント)を持ったブルメシア人へと変化する。
「…フ…フフ…。我はトート(死)。死の運命には、誰も逆らえぬのだ」
トートは恐ろしい早口で呪文を詠唱すると、三叉の槍を死神の鎌のごとく振り下ろした。
「死の世界で、生命果てるがいい。すぐに汝らも、我らの仲間となる。ク、クク…」
あざ笑うトートの声が次第に遠くなり、世界は黒い闇一色に包まれる―――。