風の王子の冒険譚6 〜 黄金の鼠人 〜





フラットレイから、アレクサンドリア城の劇場での出来事を聞いたパックは、即ブルメシアに戻る事を決断した。
「帰ろうフラットレイ。…何だか、とても…とてつもなく嫌な予感がする」
風の声は聞こえないが、身体の奥からわき上がって来る不吉な予感に、パックが身震いをする。
「フラットレイ。今の俺には、風の精霊が雲を運ぶ様子を見るくらいしか出来ない。おまえには風の囁きが、何か聞こえるだろうか?」
「―――はい。風が悪しき流れを、ブルメシアに向けて運んでおります」
竜騎士は一瞬ためらったが、今更隠しても無意味だと悟ったのだろう、淀みなく答えるとパックの顔色が蒼白に変わった。
「いつから! いつからだ?! 気付いていたなら、どうして俺に教えなんだ!!」
「アレクサンドリア領内に足を踏み入れた時から。
ですが、劇を非常に楽しみにしていた貴方に、どうしてそれを告げる事ができましょう?
例え何か変事が起きたとしても、パック殿お1人、私がこの身に代えてもお守り申し上げる所存でした」
パックの瞳に、殺気にも似た怒りが閃いた。
―――パン!!
乾いた音を立てて、パックの平手がフラットレイの頬に飛んだ。
パン! パン!
続けざまに、容赦のない平手打ちが青年に浴びせられる。
「例え城出中だろうと俺はブルメシアの王子だ! 国に危険が迫っているとあらば即、戻らねばならぬ!!」
怒りに震えながらフラットレイを冷たく見据えるパックの視線を、竜騎士の蒼い瞳が真正面から受け止める。
―――アレクサンドリアから吹く風が叫ぶ危険の影が、都に近づくに従い次第に濃くなって行くのにつれて、フラットレイは何故ブルメシア王がパックに、あまり良く知られていない別の大陸に隠されているという宝の地図などを渡したのか、理解る気がした。
危険を伴う未知の大陸に、目の中に入れても痛くない程可愛がっているという1人息子を差し向けた、その理由とは……。
だが、今それをパックに告げるのは、あまりに酷というもの。
王がパックに向けた心遣いを、無にしてはならぬ。
フラットレイは一言も抗弁する事なく、毅然とした態度でパックの叱責に耐えていた。
その蒼い瞳に込められた強い力は、何を意味しているのか?
苛立つパックは、吐き捨てるように言い捨てた。
「ブルメシアに戻る! 今、すぐにだッ!!」
高圧的な命令でしかフラットレイを動かせない自分が、悔しくて涙が滲みそうだった。


だが、パックとフラットレイがブルメシアに再び戻って来た頃には、時すでに遅し。
美しかった青の王都は破壊し尽くされ、冷たい雨の中、どこかで煙がくすぶり続けている匂いが薄く漂って来る。
森閑と静まりかえる王都には人の気配1つなく、パシャパシャと2人と1匹が立てる足音だけが空しく耳に木霊する。
「―――いったい…何があったというんだ…?」
あまりに変わり果てた故郷の光景に、2人とも言葉もない。
呆然と立ちつくすパックの横で、フラットレイは既に槍を持ち直し、油断なく周囲に警戒の目を配らせている。
「…フラットレイ、誰かいる!」
建物と建物の間の狭い路地の影に、城の兵と思われる浅葱色の服の男が座り込んでいるのが、チラリと見えた。
男と一緒にいる緋色のスカートは…若い女の子?
パックが駆け寄ろうとすると、いきなりフラットレイがマントの襟首をつかんで引き留める。
「いけません、パック殿!」
振り返ったパックに、竜騎士が無言で首を横に振る。その意味するところは、すぐにわかった。
「…………」
うなだれるパックを抱き上げてチョコボに乗せ、ついでにマントのフードをきちんと被り直させると、フラットレイはそこで大人しくするようパックに言い置いて、竜珠を取り出す。
『風よ―――』
軽く目を閉じ、風を読んでいたフラットレイが、やがて目を開ける。
「…ダメです。王都には誰1人、人の気配がありません。少なくとも私の力では、これ以上は読めません」
沈着冷静を常とする竜騎士が、青ざめた硬い表情をしているのは、風に混じった多くの悲鳴と怨嗟の声、突然訪れた死への戸惑い、恐怖、悲しみといった感情までも読んでしまったせい。
たとえ風の声が聞こえなくとも、パックにも肌でそれが感じ取れる。
「フラットレイ。誰もいないって…王宮も?」
うなずくフラットレイを見るパックの表情は、今にも泣き崩れそうだった。竜騎士もまた、再び己が何も出来なかった事に、苦い後悔に唇を噛みしめ1人静かに耐えている。
「とにかく、王宮へ向かいましょう」
フラットレイはひらりとチョコボの背に乗り、片手で手綱を取ると、王子を後ろからしっかりと抱き止める。背中に感じる竜騎士の体温とチョコボの羽毛の温もりが、誰もいない王都でどれほどパックの心強い慰めになった事か。
王宮へ向かう大通りには生ける者の姿は1つとしてなく、代わりに幾人もの民やブルメシア兵が斃れている。
「…雨がひどくなって来ました。これでは物音ひとつ、聞こえやしない」
石畳を打つ雨音は先程から少しも変わっていないのに、フラットレイはそんな独り言を言って、パックのフードを更に目深に被せてやる。
やがて、しめやかに降る冷たい雨に混じって、小さなフードの下から低い嗚咽が漏れ聞こえて来た―――


華やかなりし蒼の王宮もまた、破壊の後の無惨な姿を雨の中に晒していた。
美しい彫刻で彩られた王宮のファサードとその両翼に広がる柱廊は、ただの瓦礫の山と化し、王の間の天井が完全に崩れ落ちているのを見たパックは顔色を失った。
「うそ…だろう?」
人の気配は、全くない。
もし崩れ落ちた天井の下に王がいたとしたら…この破壊の有様では、とても生きてはおるまい。
「…王の間へ、行かれますか? パック殿」
そこに待つのは残酷な事実か、それとも一縷の希望か。
一国の王子とはいえ、まだ幼い少年の目の前に突きつけられたのは、あまりにも重く苛酷なものだった。
「―――…や、だ」
「え?」
「嫌だ、こんなのは! 父上は生きている!! だから王の間へ行く必要などない!
そうとも、俺のいない間に、父上の身に何かある筈などないッ!!」
パックの小さな肩が激しい怒りと悲しみに震え、その瞳には異様な光が宿っている。
「だいたい、このブルメシアで何があったのかさえ、本当の事は何1つ判ってないんだ!
だからそれまでは父上や皆が死んだなど、俺は絶対に認めないッ!!」
パックは自分の言葉に、ハッと我に返った。
「……そうだ、過去見の魔法。あの呪文を使えば!」
パックは荷の中から、風の大巫女から渡された魔法書を引っ張り出すと、肌身離さず身につけていた封印の護符を首から外して、フラットレイに突き出す。
「すまんが、これを預かっていてくれ」
「しかし…」
たとえ何があろうと、決してパックがそれを外そうとしない理由を知っているフラットレイは、顔をしかめる。
「過去見の魔法は、俺の魔法力の限界まで必要になる。ここで言い争ってる場合じゃないだろ? 大丈夫、心配するな」
心の中は怒りと悲しみ、ブルメシアを離れた自分への後悔など、激しい感情が渦を巻いているのに、精神(こころ)の一部は冷たく澄んだ水のように、冷静にそんな自分を見つめている。
2人で旅を続ける間に、彼はフラットレイから多くの物を学び取っていた。
フラットレイにもそれが判ったのか、わかりました、と一言言ってうなずいた。
「万一、魔法が暴走するような事態になったら、おまえが止めてくれ。最強の竜騎士のおまえがおれば、安心して呪文にだけ集中できる」
苦い顔で肩をすくめるパックの言葉には不穏な意味が込められているが、同時にフラットレイを深く信頼していればこその言葉でもある。
「はッ」
頭を垂れるフラットレイから離れると、パックは魔法書を開いて呪文の詠唱に入る。
大切に想っている多くのものを、突然奪ったのは、本当にアレクサンドリアなのか?
ブルメシアの王子として、真実を知らねばならぬ。
そして父王始め、城に仕える人々の安否もまた、気がかりで仕方ない。
感情はこの上なく高ぶっているのに、もう1つの心は自分でも驚く程冴え冴えとして、極めて冷静に事に相対している。
朗々とした声で呪文を詠唱しながら、腕を動かすパックの身体が突然、黄金の光に包まれた。
自分の中に眠っていた魔力が、凶暴な勢いで身体の奥からわき上がって来るのをパックは感じていたが、今の彼は力の奔流に翻弄される事なく、それを完全にコントロールする事が出来た。
「…トランス!」
フラットレイは目を見開き、驚嘆の声を上げる。
「…まさか“神に選ばれし黄金の鼠人”というのは、この事を示していたのか…?!」
選ばれし者だけがその力を発現するというトランス状態のパックを、フラットレイは畏敬の念で呆然と見つめる。
パックを包む黄金の光が一際強くなり、世界は一瞬、白一色の光の奔流に包まれる。
過去見の魔法が発動し、大地の記憶を縦糸に、風が過ぎ去った時のタペストリーを織り上げる。




青の王都の上空に、次々と光球が飛来し、とんがり帽子の黒い人形(ひとがた)を取る。
「あれはビビ?! いや、違う」
黒魔道士兵の集団は無表情に、逃げまどう民にためらいのカケラもなく魔法攻撃を加え、街を焼き払う。
竜騎士達、城の兵士達は、黒魔道士兵及びアレクサンドリア兵相手に善戦していたが、アレクサンドリア兵はともかく、仲間が倒れても、また自らがどんなに槍で突かれようが剣で斬りつけらようが全く頓着せず、意志のない機械やゴーレムのように立ち向かってくる黒魔道士兵に、音に聞こえた武門の国の強者達も困惑と恐怖の色を隠せない。
『皆、早う城へ! 城門の中に入れば安全じゃ! 急げ!!』
城へと逃げ込んで来る民を叱咤激励しながら、城門前を死守する竜騎士隊がいた。
彼らを率いるブルメシア軍元帥クレセントは、細身の片手剣を背負った異装の竜騎士だった。
城を目指して走る民の背後から迫り来る黒魔道士兵を、ジャンプの一撃で倒すと、民を城門の中へと誘導する。
城壁の内側にはよほど強固な結界が敷かれているのか、城の真上に出現した光球は風に阻まれ、見えざる壁に弾かれ力を失い、城外へと落下する。
結界の魔法に絡め取られて、身動きの取れない黒魔道士兵を、竜騎士達と城の兵士が次々と倒して行く。
「城にあんな攻撃的結界が張ってあるなんて、今まで1度も聞いてないぞ!」
確かに王の御座所たる王宮には、常に邪悪なものの侵入を阻む結界が敷かれているが、これ程強力な結界ともなると、風の大巫女以下、神殿の巫女と神官全員の力を合わせて、はじめて作り出せるものだ。それと、もう1つ。
「…ギザマルーク様?」
父王と共に何度か相対した時感じた、強大な気とは比ぶべくもなく弱々しいが、確かにそれはブルメシアを守護する竜の気だった。

王都の攻防戦以前に、アレクサンドリア侵攻を察知したギザマルークは、青の王都全体を覆う結界を張り巡らせた。
けれどその結界を破ろうと、竜の力にも匹敵する強大な魔力の持ち主が挑んで来た。
無論魔法の駆け引きならば、地上で最も年多き者である竜の狡猾さに叶う者はない――突如ギザマルークの洞窟に現れた、奇妙な2人組との二面対決を強いられなければ…。
王都の上空でぶつかりあっていたすさまじい2つの力の均衡が崩れ、その全ての力が反動となってギザマルークを襲った。
衝撃で息も絶え絶えになりながら、それでもギザマルークは残った力の全てを、蒼の王宮へと向けたのだった。
そしてギザマルークを凌駕した力は、今度は王城の結界をも破ろうとしている。

「…この力…一体誰が…?」
思いを巡らすパックの思考を、切羽詰まった声が破る。
『元帥殿! 新たな敵がッ!!』
若い竜騎士が指す方から黒魔道士兵の一団が、城門を突破しようと現れた。
もうこれで何度目の戦いか。
『ゆくぞ!』
クレセントが不敵に嗤った。
竜騎士達の果敢な攻撃と、黒魔法の激しい戦闘が続く。
ハイジャンプで黒魔道士兵のただ中に飛び込んだクレセントは、槍を薙ぐ一撃で数人の黒魔道士兵を屠ったが、後方へ飛び退こうとしたその時、横ざまからサンダガをもろに腕に喰らってしまった。
『うあぁッ!!』
竜騎士の1人がすぐさま攻撃に転じ、その黒魔道士兵を叩き斬って、クレセントは事なきを得た。
『ウインドシールド!』
クレセントの竜技が発動し風の魔法防壁が働いている間に、竜騎士達が残った黒魔道士兵をようやく始末した。味方の白魔道士がケアルガをかけたものの、クレセントの利き腕はピクとも動かない。
『やれ、これでは槍は使えぬの。…仕方ない』
彼は背負った剣を抜き放つと、布でしっかりと手に括り付ける。
竜騎士が槍を捨てて剣を取るなどという異様な事態に、傍観者でしかないフラットレイはわずかに眉を吊り上げる。
一方、騎士隊の最も若い竜騎士もまた、不安そうにクレセントを見守っている。
『心配はいらぬ。…30年程前じゃろうか、大きな戦いがあっての。当時、竜騎士になったばかりの儂は、戦場で槍を折ってしもうた。ここぞとばかりに斬りかかって来る相手の剣を、儂はとっさに、すぐ側で倒れていた仲間の剣を拾って、難を逃れた』
その剣が、竜騎士に勝るとも劣らない優れた剣技の持ち主であったクレセントの親友の物であり、戦場でクレセントと共に背中合わせで戦った彼が、その戦いで亡くなった事は、ある年齢以上の竜騎士ならば誰もが知っていた。
『儂は幸運にもその戦いを生き延びる事ができたが、以来、竜騎士の名折れと誹られようが、槍同様に剣の腕もまた磨いて来た』
淡々と話を続けるクレセントには、少しも気負うところがない。
『この剣は、儂の最後の守り神じゃ。
戦場で抜くは実に久方ぶりじゃが、儂がこの剣を抜いて負けた事は、今までただの1度もない』
彼は口の端を吊り上げ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
『そなたも、武芸は何でも身につけておくと、万一の時にこうして役に立つものじゃ。
陛下から元帥杖をいただいた身なれば、国の危機に際し、何としてでも生き延びて陛下のお役に立つ事こそが、騎士たる者の勤めだからのう。…そなた達も、死ぬでないぞ』
『ハッ!』
そう言って表情を改めるクレセントに、竜騎士達が一斉に敬礼する。
例えどんな困難な状況であろうと、冷静さと決してあきらめぬ不屈の闘志を失わない指揮官の存在が、竜騎士達にとってどれ程頼もしく映る事か。
クレセントは両手で軽く剣の感触を確かめるように、ひゅん、と空を斬った。
槍とは間合いの異なる剣の腕もまた一流という事は、彼が相当の手練れの戦士である事を示している。
フラットレイは、師であり、恋人のフライヤの父親でもあるクレセントの事を、思い出すことは出来なかったが、敵と死闘を続ける彼とその部下の無事を、心から祈らずにはいられなかった。


やがて王宮の正面入口から、パックの最も会いたい人が、女官長と数名の近衛兵を伴って姿を現した。
「父上!」
王の無事な姿をこの目で見て、パックは顔を輝かせる。
魔法の作り出した幻だとわかっていても、パックは思わず父王に駆け寄る。
『民は無事に避難しておるか?』
『ハッ。城に逃げ込んで来た者達は、全て地下の隠し通路より順次、城外に脱出させております』
『多くの民が城へと逃げ延びる事が出来たのも、アレクサンドリアの襲撃の前に、王ご自身が風に乗せて警告を放って下されたからでございます』
『うむ。じゃが城の外にはまだ多くの民が残っている。城の結界は強化してあるが、そういつまでも保つものでもないしの。
予は兵の半分を率いて、別の脱出路からクレイラに向かう。
敵が狙うは、予ただ1人。
予達は少々派手に脱出する故、その後そなたは城中の者並びに神殿の大巫女殿と共に、脱出するように』
『そんなッ!』
王が自ら囮になるなどという作戦に、女官長が抗議の悲鳴を上げる。
『国と民を守るのが、王たる者の務めじゃ。後の事は、風の大巫女殿に任せてある。クレイラに辿り着ければ、砂嵐が我々を守ってくれよう。
むしろそなたらの行く道の方が、辛いぞ?
脱出路はアープス山中に通じておる。慣れない山道に加えて、モンスターも多数襲って来よう。城の者達をそなたがまとめ、励まし、民を守ってやって欲しい。良いな?』
『御意』
女官長は王の命令に、滲む涙を隠すように、深々と頭を垂れた。
『…それにしても、パック王子がこの場にいらっしゃらないのは、何よりの僥倖。もしあのお方がいらしたら、私達が何と申し上げても、王と同じように危険を冒されたでしょうから』
女官長の言葉にブルメシア王は、我が意を得たりとばかりに微笑んだ。
満面にたたえられたその優しい笑みに、パックはあっ!と悲痛な叫び声を上げる。
―――知っていた! 父上は何もかも知っていたんだ!
先祖の宝の地図、路銀にしてはあまりに高価過ぎる首飾り、聞こえなくなった風の声…。みんな、知った上で父上は、俺をブルメシアから遠ざけようとしたんだ…ッ!!
こんな事をされても嬉しいどころか、父王の言葉にまんまと乗せられ、城を離れた後悔と悲しみで胸がいっぱいになって、パックの目から涙がボロボロとこぼれて来る。
「父上! 父上ッ!!」
膝を突いて頽れるパックの横を、ブルメシア王が通り過ぎていく。
王は王宮の入口を振り向くと、そこに居並ぶ歴代ブルメシア王の彫像に向かい膝を折り深々と頭を垂れる。
既に王宮前の噴水広場に集合している竜騎士・兵士達は、己が名より、代々の王が守った国を捨ててまでも、ブルメシアの民を守ろうとする王の無念を、無言のまま見届けた。
『クレイラへ行く!』
立ち上がった王が宣言すると、怒濤のように鬨の声が上がる。
ふわりと吹いた一陣の風に、過去見の魔法が解けて消えていく―――
「パック殿!」
全ての魔力を使い果たし、雨に濡れる冷たい石畳に、意識を失ったパックの身体が倒れる寸前、フラットレイが小さな王子を腕の中に抱きとめた。