風の王子の冒険譚3 〜 赤い月 〜





翌日。パックとフラットレイはトレノを出立して、南ゲート越えにかかっていた。
ダリを経由して北ゲートを更に越え、ブルメシアに向かう予定だった。
けれどもアープス山脈の不安定で変わりやすい天候は2人に災いし、急な大雨に遭って山中の洞窟への避難を余儀なくされてしまったのである。
「パック殿。やっと雨が止みましたよ。でも外はもう暗くなりかけていますから、今日はこのまま、この洞窟で夜を明かした方が良さそうですね」
外の様子を見に行っていたフラットレイが報告する。
「ん、仕方ないな。風の精霊達が雨雲を運んでいるのを知りながら、先を急いだ俺の見通しが甘かった。途中で山頂のベルクメア駅に立ち寄れば、何とか雨をやり過ごせるかと思ったんだが、こんなに早く雨が降り出すとは予想しなかった。すまんな、フラットレイ」
パックは素直に詫びる。
「いえ。それよりも今のうちに、薪を集めてしまいましょう。乾いた枝があると良いのですが」
「濡れた枝ぐらい、魔法でなんとでもなるぞ」
「本当ですか。それはありがたい」
笑顔で洞窟を出た2人だったが、空を早足で流れ去って行く雨雲の切れ間から、真円を描く2つの月がぴったりと寄り添うように東の空から昇って来るのを見た途端、パックがハッと息を呑んだ。
「フラットレイ、今日は満月…だよな」
問いかけというより、あまり認めたくない事実を確認するような口調だった。
「えーと…そうです。一昨日――パック殿と出会う前の晩が、確か十三夜でしたから」
フラットレイが指折り数える。
「フラットレイ。薪はいいから、今すぐにここを出発するぞ。
今宵は月の食――赤い月が青い月の光を喰らう時、この世のあらゆる隠された力が解放される逢魔ヶ時だ。
ましてや国境のこの山は、古き時代から幾度も国同士の戦争で戦場となった、最も影の濃い場所!
青い月が喰らわれている間、無数の魔物がこの地を跋扈し、悪夢よりも更に悪い物を見る事になろう」
常夜のトレノで数日間カードゲームに熱中していた事、何よりフラットレイとの再会の喜びが、数年に1度起こる赤い月の食を、パックから完全に忘れさせていた。
「精霊の結界で守りを固めるのも良いが、俺の魔力が尽きればそれまでだ。魔物と一晩中戦うよりも、ここは逃げるに越したことはない」
無数の魔物相手に、いつ果てるともない消耗戦を行うより、人の住まう地まで血路を切り開く方が遙かに安全なのは自明の理だった。
「封印を外して魔法を使う事は出来ないのですか?」
「普段でさえ自分の強大すぎる魔力を制御できんのに、その力の活性化する今なぞ、魔法が暴走して城塔を爆破した時より、もっと悪い事が起きるのは確実だな」
「洞窟に生き埋めとか、山火事を起こしたあげくに焼かれて死ぬ、とか?」
「…かもな」
ぼそりとつぶやくフラットレイの言葉に、パックは肩をすくめた。
「強力な魔法は使えない…となると、パック殿、武器は?」
「槍はトレノの騒ぎで置いて来てしまった。今あるのは弓だけだ」
パックはヒュッと短く口笛を吹いてチョコボを呼ぶと、その背にくくりつけた荷物の中から、弓を取り出した。
「――矢が足りませんね。承知しました。この辺りで何か武器の代わりになる物を探して来ます。パック殿は出立の準備をお願いします」
状況を把握するや、フラットレイは多くを言わず即座に行動に移り、軽いジャンプを繰り返しながら木々の梢を飛び移り、森の中に分け入って行く。
「あった! ふむ、あの辺の枝が良いか」
ほのかな芳香を放つ背の高いビャクダンの木は、魔道師のロッドにも好んで使用されており、破邪の力を持っている。
フラットレイは木に飛び移ると、パックが握るのに適当な太さの枝を、手にした槍で落として行く。
落とした枝を宙に放り上げ、再び地上に落ちてきた時には、余計な小枝は全て取り除かれ、鋭い切っ先を持つパックの身長程の棒になっていた。その作業を数回繰り返す。
この間わずかに数分。周囲はどんどん夜の闇に覆われて行く。
フラットレイは王子の元へと急いだ。
パックは既にチョコボのテミスに乗って、彼を待っていた。
テミスの頭上には、パックの作った魔法の灯りがふわふわと浮いている。
「乗れ!フラットレイ」
ひらり、とフラットレイがチョコボに飛び乗ると、テミスはすぐに走り始めた。パックが手綱を握り、山道をかなりの速度で走らせる。
王子の後ろでフラットレイは黙々とダガーを手に、棒の先端を更に鋭く削って、簡素な槍を仕上げる作業に余念がない。
「霧が濃くなって来たな…嫌な感じだ」
空では赤い月が青い月に半分以上重なり、青い光は見る見るうちに、深紅の光に喰われて行く。
霧が次第に濃くなり、ねっとりと2人の周囲にまとわりつく。
どのくらい走ったろうか。
疾風のごとく駆けていたチョコボが、突然「クェェッ!」と声を上げて、立ち止まった。
彼女は何かを警戒するように、その場から動こうとしない。
「いい子だ、テミス。…怖がらずとも良いからな」
低い声でパックがなだめるように、チョコボの首筋を何度も何度も撫でる。
フラットレイは既に槍を構え、周囲に油断なく視線を巡らせている。
魔法の灯りの届かぬ闇の中から、赤い2対の光が浮かび上がった。
闇に妖しく輝く赤い光は、無数にパック達の周囲を取り巻いている。
「…来たようですね」
フラットレイがテミスから身軽い動作で降りた。
古式ゆかしい甲冑を身につけた、ゾンビや骸骨兵スケルトンの軍団。夜空を昏き影の形に大きく切り取っているのは、ホエールゾンビか。
「何であんな物がこんな山の中にいるんだ?」
見たくないモノの類の大軍に、パックがうんざりしたようにぼやく。
「太古の昔、アープス山脈は海の底であったと言われてますから、その頃の名残では?」
「隠された力が解放される逢魔ヶ時…か。まさに何でもあり、だな」
そう言いながら、パックが矢を弓につがえる。
「パック殿、ご自分の身は守れますね? 私はまず前方の、あのでかいのを片づけます故」
「ふん。なりは小さくとも、武門の国の王子を見くびるでない。雑魚は引き受けてやるから、おまえは存分に戦うがいい」
狭い山道で周囲を囲まれた場合、進むも退くも敵の囲みを突破せねばならないが、もしパックが十分な力持たぬのであれば、小さな王子を守る為にあえて不利な持久戦も辞さない覚悟でいるフラットレイを、威風堂々たる態度で制す。
「承知」
ふうっとフラットレイが、不敵に嗤った。
敵を前に、こんな表情をする時のフラットレイは、鬼神のごとく恐ろしく頼りになる事を、パックは経験で知っている。
「いくぞ!」
パックが呪文の詠唱を始める。
「浄化の炎よ! その紅く輝ける力もて、闇の亡者達をあるべき姿に還し賜え!」
魔法が骸骨兵に向かって放たれると同時に、フラットレイが天高く飛翔する。
敵の中央に、ごう、と巨大な炎の渦が出現して亡者達を焼き払う。
アンデッドモンスターが最も嫌う浄化の炎と、目を焼く煌々とした光に、闇の魔物達は聞くに堪えない甲高い悲鳴を上げて、たちまちパニック状態になる。
ヒュウ♪とパックが口笛を吹く。
「すごい! ほんのちょっと魔力を、いつもより込めただけなのに!!」
例えて言うなら、ファイアを唱えたつもりで、ファイガが発動したようなものである。
“満月の夜は人を殺せ”。
月の満ち欠けが、潮の満ち引きだけでなく、人の精神まで影響を及ぼすと言われているように、赤い月食はパックの魔力をも増大させていた。
「風の精霊! 炎が森に移らないようにしてくれ!」
フラットレイのありがたくない予言を、実現させるつもりは毛頭ない。
けれども風は炎を更にあおるだけで、炎の柱は一段と高さを増す。
「―――そうか!」
パックは風が教えてくれた、ある思いつきに、会心の笑みを浮かべた。


天高くジャンプしたフラットレイは、遙か地上に巨大な火柱が上がるのを見た。
紅蓮の炎によって闇の中に蠢くモンスターの姿が、はっきりと彼の目にも捕らえる事が出来た。
「パック殿もなかなかやる…!」
飛翔の頂点で見上げた空には、深紅の月が唯1つ。
常に頭上に2つの月を仰ぎ見て来た者にとって、あまりに見慣れぬその光景に、軽い目眩を覚える。
赤い月の狂気に支配された魔物目がけ、フラットレイは重力にその身を委ねる。
そのまま風を切り裂くように落下の勢いを加えつつ、氷のごとき冷酷無比な正確さでもって、ホエールゾンビの弱点・心臓目掛けて槍の斬撃を振り下ろした。
軽やかに着地し、槍に己の内なる力を集中する。
「ドラゴンクロー!」
竜の爪の一撃が無数のカマイタチへと変化して、敵を縦横無尽に切り刻む。
絶叫を上げて、ホエールゾンビは跡形もなく消え去った。
「フラットレイ!!」
叫ぶと同時に、前方目掛けてパックが火矢を放つ。
ごう、と激しい炎の渦を振り撒きながら、風の精霊の助力でどこまでも飛んで行くその軌跡が、闇を貫く1本の道となる。
生ある者の命を求めて群がるモンスター共のただ中に穿たれた紅蓮の炎の道を、フラットレイが、そしてチョコボに乗るパックも続いて駆け出した。
「桜華狂咲!」
炎の道に、わずかに残った雑魚をフラットレイが一掃する。
パックの呪文により、後方に巨大な炎の壁が出現して、モンスターの追跡を阻む。
敵がひるんだ隙に、可能な限り遠くへ!
先を行くフラットレイの槍がモンスターをなぎ倒し、パックは風と炎を組み合わせた精霊魔法を力の限り唱えた。
「フラットレイ、これで最後だ!」
ただ前方の敵だけを見据えているフラットレイの側を、炎の矢が駆け抜けて行く。
ついにパックの矢が尽きた。
この時を狙っていた骸骨兵が山道の脇から飛び出して来て、パックに向かって剣を振り下ろす!
ガッ!!
フラットレイの作った木槍で、間一髪攻撃を受け止めた。
…にも関わらず骸骨兵は恐ろしい力でもって、ぐいぐいと押して来る。身体の小さなパックでは、木槍を両手で支えて堪えるのが精一杯だった。
「鋭き氷の槍よ、天より来たりて我が敵を滅ぼし賜え!」
水の精霊魔法を唱えるや、天空より飛来せし氷の槍が骸骨兵を貫き、地に縫いつける。
キラリ。
上空で、何かが光った。
「ん?――うわぁッ!!」
次々と天から降って来る氷の槍に、パックが気づいて叫び声を上げる前に、テミスがその場から飛びすさっていた。パックがつい今までいた場所には、氷の槍が何本も突き刺さっている。
「ふう、危なかった」
心から溜息をつく。
―――御身がその身に宿す魔力は、さながら巨大な竜のごとし。
己が意志通りに操る事叶わねば、其は凶器となりて人を、そして己までも傷つける。
かつて風の大巫女は、パックの持つ力について、そう評した。
それ故パックは、風の大巫女の言葉に従い、自ら魔力を封印する事を選んだのである。
けれど……。
戦いが続くにつれて、パックの内で増大し、膨らみ続ける一方の魔力に、封印の力が凌駕されて行く。
赤い月の狂気を受けての事なのか、それとも殺るか殺られるかの戦いにおける、生命の本能のようなものが、そうさせるのか。
―――このまま俺自身との戦いに負けて、魔法の制御を失い、狂戦士バーサク状態にでもなれば、俺もフラットレイも終わりだ。…くそ、負けるものか!
パックは深く息を吐き出して、戦いの高揚感と、強大な魔力を行使する陶酔にも似た感覚にざわめく心を、懸命に押さえようとした。
その時。
別の殺気が、パックのすぐ目の前にあった。
木槍を構える暇すら与えられず、骸骨そのままの形をした死神が、鎌を振り下ろす。
―――殺られる!
ザッ!
最後の瞬間まで敵をキッと見据えたまま、決して目を閉じようとはしなかったパックの視界に飛び込んで来たのは、蒼い人影。
「くうっ…!」
左腕を骸骨兵の剣に貫かれ、フラットレイが低くうめき声を上げた。ドレインによって、フラットレイの命の炎が奪われて行く。
「フラットレイッ!!」
密着した状態では、長すぎる槍は使い物にならない。
竜騎士の広い背にかばわれたパックもまた、動けないでいた。
フラットレイは何を思ったか、己の得物をあっさり捨てると、竜技の要領で右手に力を集中させる。
「―――?!」
危険を察知した骸骨兵が、フラットレイから離れようとしたその刹那。
銀色の光が骸骨兵を薙ぎ、敵は跡形もなく消滅した。
高々と掲げられたフラットレイの右手には、鋼の輝き放つダガーが握られていた。
続く戦いの為、肩で荒い息をするフラットレイに、パックが即座にとっておきのラストエリクサーを使う。魔力の消耗激しいパック自身も、軽くなった身体に、ほっと息をつく。
「大丈夫か?」
「なんの、これしき。―――そんな事より、あれを」
フラットレイが示した先には、巨大な蟲とおぼしき魔物が、悠然とこちらの様子を伺っている。
「霧の魔獣か! しかも普通の奴とは、明らかに比べ物にならん力を持っているようだ。…どうやら奴が、モンスター共を呼び寄せているとみえる」
「然り」
魔獣が発する恐ろしく禍々しい気に、肌がチリチリと粟立つ。気の弱い者ならば、とうに衝動に駆られて逃げ出すか、あるいは失神するか。ここにこうして立っている事すら、おぼつかぬであろう。
「ならば重畳。奴を倒せば、これ以上モンスター共に襲われる事もない訳だ」
何でもない口調でさらりと言ってのけるパックに、フラットレイが口元で不敵な笑みを作る。
「行きますぞ、パック殿!」
2人と1匹は、霧の魔獣目掛けて駆け出した。


死闘が続いていた。
フラットレイが霧の魔獣と対峙し、そしてパックは群がるモンスター共を精霊魔法で片端から始末する。
制御し切れない程に増大する一方の己の魔力への不安に、パックは手を抜くどころか、力の限り魔法を唱え続ける剛胆さは、流石というべきだろう。
フラットレイの何度目かのジャンプの時、霧の魔獣がその長い触手で竜騎士を鞭打った。
「―――ッ!!」
空中でバランスを崩したフラットレイは真っ逆さまに、彼を引き裂こうと待ちかまえて蠢く触手の上へと落下する。
「させるか!」
パックが投げた木槍が、みごと魔獣に突き刺さる。
魔獣が絶叫を上げた。
一斬!
無事着地したフラットレイが、目にも止まらぬ槍さばきで、霧の魔獣にとどめを刺す。
パックが嬉しそうに彼に向かって親指を立てると、竜騎士も笑顔でもって同じ仕草を王子に返した。


その後は単独で行動するモンスターに何度か遭遇したものの、2人はダリ村のゲートまでたどり着いた。
「…誰もいませんね」
ゲートは固く閉ざされ、見張りの兵士も1人もいない。チョコボを降りて、ゲートに近づこうとするフラットレイを、パックが止めた。
「待て。このゲートには、白魔法のトラップが仕掛けられている。もし魔物がゲートに触れたなら、ホーリーが発動するという寸法だ。誰が仕掛けたかは知らんが、ゲートとその向こうのダリを守るには一石二鳥のやり方だな」
パックの目にはゲート全体が、闇の中で聖なる輝きを放っているのが見える。モンスターもこれを恐れて、ゲートに決して近づこうとしない。
「では飛び越えるしかありませんね。…チョコボは?」
「相棒のこいつも、俺と同じブルメシアの生まれ。空は飛べんが、ジャンプは得意だ」
そう言って、テミスに優しく命ずる。
「テミス、フラットレイの後について飛べるな?」
「クエッ!」
チョコボは元気良く答えて、羽根をパタパタさせた。
フラットレイに続き、パックを背に乗せたテミスが、赤い月に向かって飛翔する―――。


遠くから見たダリ村の周囲には、モンスターを避ける為の篝火が明々と燃えていた。
辺境の小さな村だが、人の住まう多くの気配に、パックもフラットレイも、ようやく安堵に表情をほころばせる。
ダリの宿屋に部屋を取ると、2人はそのまま泥のように、深い眠りに落ちた。