風の王子の冒険譚2 〜 邂逅 〜





時は流れ…最強の竜騎士フラットレイもフライヤも、ブルメシアを旅立った。
そして彼らの後を追うように、パック王子もまた…。


眠らない街トレノ。
貴族達の住まう豪奢な館が連なる城壁の外には、粗末な作りの掘っ建て小屋が無数に広がっている。猥雑な貧民窟の片隅で男達とカードゲームに興じる、ブルメシア人の子供の姿があった。
「やった! また勝ったぞ!」
得意げに叫んだのは、身分を隠して現在城出中のパック王子。
パックが早くとせかすように差し出す手に、男が半ばやけくそ気味に己のレアカードを叩き付ける。
「くそッ! 幻の超レアカード『ブルメシア』を手に入れるどころか、これじゃ大損じゃねぇか!!」
男の遠吠えに、やはりパックとの勝負に敗れた見物人達がうなずく。
男達が色めき立つのも無理はない。
何しろ『ブルメシア』は、カードの発行元であるファーブル出版社が、パック王子の誕生日に彼に贈った20枚と、社の関係者に配られた10枚しかこの世に存在しないのだから。
そしてパック自身も、その半分を遊び仲間の子供達に気前良く与え、1枚を城の図書館に、2枚を父である王に、更に何枚かを旅の途中で家来にしたモーグリなどにあげたので、わずか4〜5枚しかその手元に残っていない。
幻の超レアカードと呼ばれる所以だった。
「次に俺と勝負したい奴は誰だ?」
次第に険悪になって行く空気に気づいているのか、いないのか。
パックは自信たっぷりに、男達を見渡す。
と、回した視線の先に、ちょうど道具屋のテントから出て来たブルメシア人の男の姿が、目に飛び込んで来た。
「フラットレイ?!」
長い間その行方も、生死さえも不明だった竜騎士が、今、目の前にいる。
ガバ、と立ち上がって、駆け出そうとするパックを、背後から伸びた男の腕が捕らえた。
「おい坊主。勝ち逃げは良くねぇよな?」
低い声に、殺気がこもっている。そうだ、そうだと周りの男達も口々に叫ぶ。
「離せ! フラットレイ!!」
竜騎士の名を大声で呼べども、フラットレイには届かないのか、振り向きさえしない。後ろから羽交い締めにされ、高々と吊り上げられた格好のパックが、逃れようともがいて足をバタバタさせても、むなしく足は宙を蹴るだけ。
―――フラットレイが行ってしまう!
「風の精霊よ! フラットレイを捕まえて!!」
パックが叫ぶと同時に、たちまちフラットレイの行く手を阻むように風が渦巻く。ハッとした彼が振り向くと、目に飛び込んできたのは、男達に羽交い締めにされた小さなブルメシア人の子供。
こちらに近づいて来る青年を、男達は剣呑な目つきで迎えた。
「何だぁ、おめぇは?」
「その子供を離してもらおうか? 何があったかは知らないが、こんな小さな子を大人が大勢でよってたかって、こんな風に扱うのは感心しない」
「ケッ、偉そうに! てめぇ、こいつの知り合いか?」
目線を交わした男達が青年にとびかかろうとする寸前、フラットレイは手にした槍をパックを捕らえている男の喉元に突きつけ、一瞬にして機先を制する。
「子供を離せ、と言った筈」
男に向けられているのは刃ではなく峰の方だが、フラットレイから発せられている静かな気迫が、彼らの動きを完全に封じている。
「あ、ああ…」
首を縦に振ろうとすれど、気合い負けした男は硬直したきり1ミリも動けない。他の男達も同様だった。男達はパックを置くと、脱兎のごとくその場から逃げ去った。
「助かった、フラットレイ。礼を言うぞ」
年齢に見合わぬ威厳に満ちた口調で話す子供に、フラットレイは不思議そうな目を向ける。
「あなたはどなたです? 私をご存じなのですか?」
「はぁぁ? 俺だよ、フラットレイ。パック・ブルメシア・ペンドラゴンじゃないか!」
パックが呆れたような声を上げる。
いくらフラットレイがブルメシアを出てから年月が経ち、自分が成長したからとはいえ、ペンドラゴン――ブルメシア王太子の称号を名乗るまでもなく、ブルメシア王家始祖の先祖返りである、特徴ある茶色の肌をしたブルメシア人は、この世に只1人しか存在しないのだから。
「パック…殿? 私の名は、本当にフラットレイと言うのですか?」
青年はパックの言葉を1つ1つ確かめるように口にする。
何をバカな事を、といった表情のパックに向かい、フラットレイはこう告げた。
「実は…私には過去の記憶が一切ないのです」


先程の騒動で、衆目の好奇心剥き出しの視線を浴びていた2人は、人目を避けて誰もいない城壁の上までやって来た。
「記憶がないって、どういう事なんだ? 本当に自分の名前も覚えていないのか?」
問いつめるパックに、フラットレイは無言でうなずいた。
「おまえの故郷、ブルメシアの事は? おまえの父上や母上の事はどうだ?
おまえは王宮近衛竜騎士団の筆頭竜騎士として王の側近くに仕えていた。俺の父上…ブルメシア王や、王宮の事で何か覚えている事はないのか?」
フラットレイは、やはり首を横に振る。
「そうだ、フライヤ! おまえの恋人のフライヤ・クレセントの事なら、少しは覚えているだろう?」
「フライヤ? 誰です、それは?」
ひどく戸惑った様子のフラットレイに、嘘だろう?とパックは思った。
フライヤはフラットレイの死の噂の真偽を確かめるべく、故郷も何もかも捨てて、ただ彼を捜し出す為に旅立ったというのに。
こんな結末、あまりにも残酷ではないか。
「…本当に何も覚えていないのか、フラットレイ? ほんの少しでもいいから、おまえの覚えている事って、何かあるか?」
表情を無理矢理押し殺して、パックが低い声で問うた。
「この槍1つ。それが私の記憶の全てです」
感情を交えず、ただ事実のみを語るフラットレイの顔も、能面のように一切の表情が消えている。
己の名をなくして、辛くない者などいないだろう。
そんな想いの一切を己の内に封じ込めるかのように、フラットレイは湖水の面(おもて)のような静けさを纏っている。
その静けさがあまりに哀しくて、そして大好きだったフライヤの事を思うと、パックは思わず涙が滲みそうになった。
「何で、こんな事になっちゃったんだよ!」
パックは叫ぶと、フラットレイにぎゅうっとしがみつく。
身分上、人前で涙を見せる事を決してしないパックは、涙を堪えるようにフラットレイの胸元に顔をくっつける。
「パック殿…」
声は上げずとも、心の中でフラットレイの為に泣いているパックを、なだめるように青年が頭を優しく撫でる。
長いこと孤独を唯一の友として、世界をさすらっていた。
自分の為に泣いてくれる誰かがいる事、その人に巡り会えた事。
それがこんなにも幸福な事だったとは。
ブルメシアの王子と名乗った少年を、フラットレイは泣くに任せるまま、大切そうにそうっと抱きしめた。




トレノの門の外、緑生い茂る森の中に、パックの寝起きしている場所があった。
「ただいま、テミス! いい子にしていたか?」
「クェェッ!」
パックはテントの側で放し飼いになっていたチョコボに駆け寄ると、思い切りその背をなで回す。
「…ブルメシアの王子ともあろう方が、このような森の中に1人で寝泊まりしているとは、あまりに危険ではないのですか?」
パックに言われるまま付いて来たフラットレイが、眉をひそめる。
「トレノの安宿なぞ、見るからにあやしい奴が大勢出入りしていて、モンスターよりもよほど危なげで俺は好かん。ここの方が、そこらの宿より遙かに安全で快適だぞ。…ほら」
パックが親しげに柔らかな下草の生えた地面をポンポン、と叩いた途端、周囲の空気が変化した。
どこがどう、とは口に出来ないのだが、風を読むブルメシア人のフラットレイには、確かにそれを感じる事が出来た。
「地の精霊ノームの結界だ。モンスターや邪悪な意志を持つ人間は、結界の中に入って来れぬ。万一眠っている間に、結界が破られるような事があっても、事ある前に地の精霊が俺を起こしてくれよう」
物のついでにと、パックがパチンと指を鳴らすと、火の精霊サラマンディアが、積んであった囲炉裏の薪を明々と燃え上がらせる。
「精霊魔法…ですか!」
フラットレイが、押し殺した驚きの声を上げる。
精霊を使役する精霊魔法は人々の間から忘れ去られ、霧の大陸広しといえども、今ではその使い手はほとんどいないと伝えられている。
パックが大きくうなずいた。
「ブルメシア人は本来、風だけではなく四大精霊全ての力を持っていたと聞く。長い年月の間にその力は次第に失われ、それが500年前、武門を重んずるブルメシアと、精霊との交流を重んずるクレイラとが袂を分かつ原因になった」
パックは皮肉っぽく、口元を歪める。
フラットレイが、ハッとしたように叫んだ。
「“精霊の友と呼ばれし彼の者、竜の力、黄金の肌と黄金の心持つ鼠人なり”!
では、あの伝承に伝えられている、黄金の鼠人とは…!」
「そう。俺の祖先のブルメシア初代王は、精霊魔法の優れた使い手だった。先祖返りの俺が四大精霊全ての力を使えたとしても、不思議ではないだろう?」
パックは不可思議な力に満ちた瞳で、フラットレイを見上げた。
「しかし、私が読んだブルメシアに関する書物には、そんな事一言も!」
驚きを隠せないフラットレイが、パックに訊ねる。
「無論これは言ってはならぬ事。王家と、神殿に仕える高位の巫女と祭司、そして極一部の限られた者のみが知る。
天と地の間のあらゆる事象を意のままに操る魔法なれば、嵐を呼んだり、逆に干ばつを起こす事とて可能だからな」
例えばクレイラを守る砂嵐も、宝珠の力で維持されているが、砂嵐の源は人の持つ魔力。それに音楽と舞に宿る魔力を合わせて、神殿に捧げるのである。
「もし、そんな力を他国に知れてみろ、己の国の民を守るという名目で、必ずブルメシアを…いやブルメシア王家の人間を滅ぼそうと、他国はやっきになって攻め入るであろう」
「…何故パック殿は、そのような他言無用の秘密を、私ごときに教えて下さるのですか?」
まだ記憶喪失状態のフラットレイに慣れないパックは、ちょっと困ったような何とも言えない表情をする。
「なに、王に仕えるブルメシア最強の竜騎士として、おまえが当然知っていた事を話したまでの事。
それよりフラットレイ、火の前に座らないか? 少し話が長くなりそうだからな」


パチパチと心地良くはぜる焚火の前に座って、パックはフラットレイに語った。
「今ではブルメシアで精霊魔法を使えるのは、王家の血を引く者だけになってしまった。
父上も風と水の精霊魔法を良くされるが故に、武門の国にも関わらずブルメシアは実り豊かだ。
だが四大精霊の力を持つ者は、俺以外には、巫女の長たる風の大巫女ただ1人。もしかしたらクレイラの大祭司の血に連なる者の中には、いるやも知れぬがな。初代の大祭司は元ブルメシアの王子であったと、王家の記録に残っている」
己が魔力と言霊の韻律で魔法を編み上げる黒魔法や白魔法と違い、発現する“力”は黒の魔法に良く似ているものの、精霊魔法は精霊を術者の意のままに使役する。その意味で精霊魔法は、召喚魔法に近い性質を持っている。
「…とはいえ、精霊魔法の使い手といっても、俺の力はほとんどが封印されている。精霊を意のままに操り大きな魔法を行うには、強大な魔力と精神力、そして何より精霊の事を理解する知識が必要なんだが、子供の俺の身体には負担が大き過ぎるのだそうだ。知識は学ぶ事が出来ても、大人に負けぬ体力は今の俺にないからな。
だから成人するまでは、この護符を身につけていろと、風の大巫女にきつく言われてる」
パックは首に下げた、封印の赤いルビーの嵌った護符を取り出して、フラットレイに見せた。
王子は知らないが、これもまた召喚士が16歳になるまで、力を完全に発揮できないのと似ていた。
「力を封じられて、不自由ではないのですか?」
「ん〜。そうしようと思えば、封印のペンダントなど、いつでも簡単に外せるんだがな。
例えば、火の精霊・火トカゲの王サラマンディアなどは気難しい上に怒りっぽいから、力を借りるにしても、大がかりな魔法になる程制御が難しい。
昔1度だけ、城の塔を1つ丸ごと吹っ飛ばした事があってな。
倉庫に使っていた古い塔だったから、怪我人は出なかったものの、父上には烈火のごとく怒られ、その上、罰として槍術・剣術・弓・拳法・魔法術それぞれの指南役に命じて俺にハードな課題を課して、クリアするまで全員から死ぬ程シゴかれ、散々な目にあった。…あんな思いをするより、多少の不自由の方が全然マシだな」
よほど懲りたのだろう、パックはしみじみと溜息をつく。一方のフラットレイはパックに悪いと思いつつも、こらえ切れずによそを向いてクク…と忍び笑いをしている。
―――中でもおまえのシゴキが、一番容赦なかったんだがな。
パックはフラットレイを横目で睨みながら、心の中で毒づいた。
「まぁ昔話はともかくとしてだな、封印のおかげであまり見たくないモノまで見なくて済むのは助かるぞ」
パックはそう言って肩をすくめる。
見たくないモノ、の意味は、何となくフラットレイにも判る。
ぐう、とパックの腹が、大きな音を立てた。
思わず顔を見合わせると、王子の方がてヘっと小さく笑う。
「フラットレイ。話も大体済んだ事だし、そろそろ食事にしないか? おまえも腹が減ったろ。
どうもトレノにいると、時間の感覚が狂って良くないな」
パックはそう言って立ち上がると、テントの中に駆けて行き、食べ物を嬉しそうに抱えて戻って来る。その様は、普通の子供と少しも変わらない。
「お手伝いしますよ」
フラットレイは微笑んで、焚火の前から立ち上がった。




食事の後、少なくなった薪を拾って戻って来たフラットレイを迎えたのは、バスタオルをマントのように身体に巻きつけただけの格好のパック王子だった。
「パック殿、一体その格好はどうされたのです?」
フラットレイは唖然としたまま、立ちつくしている。
「おまえがいない間に湯浴みをして来たところだ。眠る前におまえも入って来るといい」
パックはそう言ってくるりと踵を返して、フラットレイを案内するように、今来た道をパタパタと戻って行く。威厳があるのかないのか全く判らない格好のパックだが、竜騎士の青年は薪を地面に置くと、王子の後に素直に従う。
「ほら、ここだ」
パックに案内された泉からは、ゆらゆらと白い湯気が立ち上っている。
「温泉ですか、これはいい! 確かにここは王の寝所だ。トレノの宿などより遙かに快適に過ごせますね」
「だろう?」
ふふん、とパックが得意げに胸を反らす。
「石鹸はそこの岩の上にあるから、使うといい。バスタオルは俺が持って来てやる」
「パック殿!」
フラットレイが止める間もあらばこそ、パックはダーッと風のように駆けて行ってしまった。
「…仕方ない、お言葉に甘えるとしようか」
パックのあまりに型破りな王子ぶりにフラットレイは微苦笑すると、羽根飾りの帽子を取って、どこか適当な枝はないかと周囲を見渡した。


パックは服を着ると、フラットレイが予想した以上に早く、温泉に戻って来た。
「フラットレイ、どうしたんだその傷は!?」
ちょうど上着を取ったフラットレイの、白い背や腕に無惨な傷跡がある。フラットレイは明らかに、パックには見せたくなかったという顔をしたが、それでも膝をついて目線をパックに合わせて、話し始める。
「もう4、5年ほど前にもなりますか。私はこの怪我を負って、とある辺境の村の川辺に流れ着いたのだそうです。
その時以来、私に過去の記憶はありません。
ひどい傷跡ですから幼き方にはあまりお見せしたくなかったのですが、見苦しい物をご覧に入れてしまいましたね。どうかご容赦下さい」
優しく笑って頭を下げるフラットレイに、パックは何と声をかけて良いやら途方にくれる。
「その……記憶をなくしてから今まで、どこでどうしていたのだ? 無論、おまえに聞いてもよければ、の話だが」
パックの気遣いはフラットレイにも十分伝わって来たので、青年は微笑んで話を続ける。
「長いことダゲレオにいました。何しろ当時の私は赤子のようなものですから知識が何よりも必要でした。世界を旅するにしても、モンスターを倒す腕はあれど、その習性などをきちんと知っておかねば、1歩たりとも野を歩けません。
彼の地にはグランドドラゴンも多数生息していますから、良き修行にもなりました。
そしてダゲレオで世界の事を学んだ後、大陸をあちこち旅しておりました」
「ブルメシアには帰ったのか?
ダゲレオで学んだなら、おまえの槍術がブルメシアの竜騎士の物だとすぐに判った筈。そして霧の大陸で竜騎士を擁するのは、ブルメシア王国だけだ」
しばし沈黙の後、フラットレイはいいえ、と首を横に振った。
「ならば、すぐにブルメシアに戻ろう! 故郷に戻れば、きっとおまえの記憶も取り戻せるさ!
な、そうしよう」
幼い王子は懇願と好意の入り混じった笑みを、いっぱいに浮かべる。
―――いつかは戻らねばならぬと理解っている。
けれど記憶をなくした自分を、彼の地で待つものは……。
「…………」
長い逡巡の後、フラットレイは面を伏せたまま「はい」とだけ、短く答えた。